SEEING RED






 
 
 
 
 ぽたりと汗が散った。切れかけの蛍光灯がちりちりと音を立てて揺らめく。
穴蔵のようなその部屋は、使う本人と同じように実直で、飾りけのない清潔な部屋だった。大きな本棚が一つときちんと整えられたベッドが一つ。枕元に読みかけの本が数冊、ページが開いた状態で置かれている。簡素なつくりのテーブルと古い木の椅子、床にはゴザが広げられていて、使い込んだ座布団と木造りの蝋燭たてがあった。溶けた蝋が取っ手の部分まで伝い落ちて固まっている。
「・・・──」
 くぐもった声が壁を伝う。壁際に並んだ長さの違う木刀が、僅かな振動に揺れた。湿り気を持った息が断続的に漏れ聞こえてくる。部屋に似合わぬ粘着質の音と引きつった声。隅に隠れるように縮こまっているのは部屋の主であるはずのレオナルドだ。ひたりと壁についた指にまとわりつく透明なそれが煉瓦の面に跡を残す。
 ぽたぽたと首筋から大粒の汗が流れ落ち、レオナルドは忌々しげに唸った。
 視線を落とすと、目に痛いほどの光景が広がっている。だらしなくふきこぼす自身と迷い無く動く右手。終わりが近いのか、行為は益々乱暴になっていく。
「ぐっ・・・」
 レオナルドにとってそういった行いは密やかに淡々と行うものでしかなかった。嫌いではないが、すすんでやるようなことでもない。終わったあとの疲労感はレオナルドを普段の重責からほんの少し解放してくれる。
 けれど、今しているものはまったく種類の異なるものだった。どんなにしても物足りなさがつきまとい、縋るように思い出したのは、今朝出て行った兄弟の姿だった。じっとこちらを睨む彼の瞳。殴るでもなく、押しのけるでもなく存在を確かめるように触れた掌。彼の真意が掴めず、視線をそらしたのは自分だった。
とたんにぶり返す罪悪感にレオナルドは肩を強張らせ、右手を痛いほど下腹に食い込ませる。
「・・・はぁ・・・」
 ごろんと床に転がって息をついた。
 吐き出したものはすぐに冷え切って、レオナルドは浅い呼吸を繰り返しながら冷静さを取り戻していく。目の前にかざした手は白濁に塗れていた。見ていられず、そばにあった本を乱暴にはじき飛ばす。
「くそっ!」
 悪態をついて起き上がると、てぬぐいを引っ張り出して汚れた掌を拭い、部屋を出て洗面所に向かった。ぶつぶつと呟きながら丹念になごりを洗い落とす。視線を上げると、正面の鏡に、まるで悪いことをした子供のような自分が映りこんでいて、鏡に向かって重々しいため息をついた。
しばらくそうしていると、にわかに外が騒がしくなる。言葉にならない声を上げているのはドナテロだろうか。また実験に失敗でもしたんだろうと気にもかけずに部屋に戻り、二振りの刀を背負ってマスクを締め直し、いつも通りの姿になった。
「レオナルド!!」
 悲鳴混じりに呼ぶ声がする。
 レオナルドは刀を握りしめ、部屋から走り出た。素早く周囲に視線を走らせるが別段変わった様子はなく、ただドナテロが棒を片手にリビングを走りまわって何かを追いかけているだけだった。
 階下に降りると、レオナルドの足元を小柄なものがすばやく通り過ぎて、まっすぐに配管を登っていく。
「なんだ、鼠じゃないか」
 呆れて呟くと、後を追ってきたドナテロが、鼠を見逃した兄の前でじたんだを踏んでみせた。
「見てないで捕まえてよ!」
「いちいち気にしてたらきりがないだろう・・・」
「あいつが何取ってったと思う?例の薬だよ!誰かさんのせいで、もう他にないんだ!」
 レオナルドは顔をしかめ、鼠の行った方に振り返った。もう配管をのぼりきって、換気口に入り込もうとしている。慌てて身を乗り出したドナテロのすぐ脇をひゅ、と鋭い空気が横切った。忙しなく壁を掻いていた鼠の体が落ちる。壁や手摺りにぶつかりながら落ちてきた鼠の腹は奇妙な形にへこみ、隣にはくないが横たわっていた。痙攣を繰り返す鼠を前に、ドナテロはごくりと唾を飲み込んで隣の兄を仰ぎ見る。
「・・・どうしたの」
「ん?」
「機嫌悪いよね?」
「いや、なにもないよ」
 レオナルドはなんの感慨もないという風に、鼠を見下ろした。ドナテロは、すでに黒い塊となったそれに近寄ったが、銜えていたはずのガラス板は落ちた衝撃で粉々に砕けちり、鼠の口に血だまりと共に欠片が残っているだけだった。
「・・・これじゃ採取できない」
 呟いたドナテロの足元で突然、鼠が暴れ出した。どこにそんな力が残っていたのか分からないが、腹を引きずったまま、再び駆け出そうとする。前足だけで忙しなく床を掻き、前進しようとするがうまくいかない。鼠は動かない後ろ足を鬱陶しく思ったのか、突然自らの腹に己の歯を突き立てた。
「うわっ」
 ドナテロが声を上げて後ずさる。レオナルドはその様に顔をしかめた。鼠は夢中になって腹にかぶりつき、ついに下半身を噛みちぎると、ずるずると前へ進みだした。あふれ出した血液を床になすりつけながら驚異的な勢いでそいつは前進を続け、階段をのぼろうとしたところでふつりと糸が切れたように動かなくなった。
 2人は目の前の惨状に言葉もなく立ちつくした。ぎこちない仕草でドナテロが兄を見る。
「・・・どう思う?」
 レオナルドはゆるりと首を横に振った。
 ドナテロは足下に散ったガラス片をつまみ上げて、蛍光灯の下でかざし、震える声で呟く。
「こいつは普通のドラッグとは違う」
 そこへルルルと電話が鳴り響いて、緊張に固まっていた2人はびくりと体を揺らした。ドナテロがリビングの受話器をとる。
「はい、こちらカワバンガ・カールのパーティサービスです。お電話ありがとう。申し訳ありませんが只今の営業は、はい?・・・なんだマイキーか、どうしたの?・・・うん、うんいるよ。先生は?・・・お疲れ様。すぐ帰ってくるんだろ。え?なに、聞こえないよ・・・は?・・・・・・・・・今どこ?」
 電話を受けていたドナテロがまずいことになったというような顔でレオナルドを見る。近寄ると、ドナテロは受話器を顎で挟んでテーブルに手を伸ばし、N.Y.の地図をとろうとする。レオナルドが取って渡してやると、ドナテロはすぐに地図を広げて道の名前を口にし始めた。レオナルドはペンを取って言われた道の名前を丸で囲んでいく。
「分かった、じゃあそこから港の五番倉庫まで誘導してきて。・・・そう、やり方はわかるだろ、フットの奴らをおびき出したときと同じだよ。ええ?なんだよ。そんなこと知らないね、お前が悪いんだろ。なんでみんないつも僕にさせるのさ、自分で謝ればいいじゃないか。だってじゃない!代わるから、今。そういるからここに。はいはい、じゃあ頑張って。はいレオ、マイキーが代わってほしいってさ」
 ぐいと受話器を押しつけられる。ドナテロは乱暴な足取りでどかりとソファに腰掛けると、地図を広げはじめた。レオナルドは受話器を耳につけ、向こうにいるはずの兄弟に話しかける。
「マイキー、どうしたんだ」
『げぇっほんとに出た!』
「俺が電話にでちゃまずいのか」
『まさかぁ!そんなことないよ!元気にしてる?』
「ああ、いつも通りだ。ありがとう。それより、先生を送って行ったんじゃなかったのか」
『それはかんぺき。ノープロブレム。心配しないで、オイラちゃんとエイプリルと先生をリンカーンホールまでエスコートしていったから。でね、聞いてよ先生の変装が大変でさぁ!あのながーい尻尾をリボンでしばって隠したんだけど、歩くたびにもこもこ動くんだ。あんまり目立つからしまいにはエイプリルが手で押さえながら行ったんだよ!おっかしーよね!』
「マイキー、」
『そのあとドニーに頼まれてた買い物して、せっかくだから角のピザ屋であつあつのラージサイズピザを買おうと思ってイーストビレッジに行ったんだ。何人か知ってる奴らを見たよ、ほら少し前に夜遊びしてた連中を追い払ったよね、そのときのやつだった。みんな同じとこに入ってったよ』
「まて、ちょっと話を・・・」
『でね、オイラ思ったんだよ。もしかしたらラフがいるかもしれないって。あいつそういう場所好きじゃん。ケイシーと行ったところ・・・なんだっけ、BBGだよね?見つけてさぁ・・・それで、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ中に入ったんだ。あ、お酒は呑んでないから!コークハイだけだよ。ほんのちょっとね!それであいつのこと聞いて回ったんだけどそんな奴たくさんいるからっ・・・よっと。どれかなんて・・・分からない・・・ってさ!』
 外にいるせいか、受話器の向こうが騒がしい。風の音に混じって走るような音が聞こえてくる。
「いったいどうしたんだ」
『ごめん、レオ。みつかっちゃったみたーい!』
「追われてるのか!?誰だ?」
『わかんないけど、ずっとついてくるんだよね』
「ミケランジェロ!」
『ごめんってー!』
「やり過ごせないのか、今どこだ!」
『あっと、待って・・・っ───』
 突然甲高い音を立てて電話が切れた。
慌ててドナテロを振り返ると、彼はすでに棒を背負い、手製の道具が詰めてあるらしいドラムバックを肩にさげて準備は万端だ。レオナルドは落ちていたクナイを拾って、玄関に走り寄る。「ああそうだ」とドナテロがその背中を止めた。
「持っていきたいものがあるんだけど・・・」
 それは大きな筒状のもので、あちこちからチューブやケーブルが飛び出し、相当な重量があった。2人がかりでそれを担いで、ガレージへ運こび、ワゴンの荷台にやっとのことで積み込む。助手席に滑り込んだレオナルドが訝しげにその何かを眺めている。運転席についたドナテロが、
「これ、新しい掃除機なんだけど、補助機能つけたらすんごいゴツくなっちゃってさ。今小型化を検討中。楽しみにしててよ」
「掃除機を持っていってどうするんだ」
「後でわかるから・・・あ、」
「なんだ」
 エンジンを入れたドナテロはブレーキを踏みながらサイドランプをつけたり消したりしている。
「ラフに車のライトを換えてくれるよう頼んでおいたんだよ」
 カチンとライトをつけると、白い光の中にガレージのシャッターが浮かび上がった。
「ほら、ね」
 ドナテロが口の端で笑ってみせる。微笑み返したレオナルドは、深く細く息を吐いて告げた。
「いくぞ」
 やかましい音を立ててシャッターが開き、鮮やかな黄色いワゴンが煌々とライトを照らしながら夜の街に走り出た。
 真っ暗になったガレージの隅で、覆いをかけられたバイクが一台、ひっそりと持ち主を待っている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「あっと、待って・・・っ」
 危険を感じて体を捻ると、顔すれすれを小型ナイフがすり抜けた。なんとか避けたものの、持っていた携帯電話が真っ二つに割れてしまう。
「あーあ、やっちゃった」
 ミケランジェロは残念そうに呟いて、走る速度をあげた。慣れないスニーカーで滑りそうになる。せっかくお気に入りの洋服できめてきたというのに、転びでもしたら大惨事だ。振り返ると排水溝から立ち上る蒸気に紛れて幾つもの影が走り出てくる。道にあったゴミ箱を蹴飛ばして中身をぶちまけた。がらがらとやかましい音に犬が鳴く。その隙に直立するレンガの壁に指をかけ、非常階段に飛び乗って上を目指した。ちらりと階下に見えたのは、様々な背格好の少年たちだった。その顔は青白く、暗闇の中にぼんやりと浮かんでみえる。彼らはためらうことなくミケランジェロの後を追って次々と非常階段を登ってきた。
 ミケランジェロは頭を擦りながら、腰に差したヌンチャクから手を離した。数を減らしてやろうと思ったが、子供相手に実力行使はできない。ううん、と唸って周囲を見回し、目指す方向に連なる貯水タンクの数々と尖った屋根、突き出た煙突を眺める。気がつけばすっかり日は落ちて、インクが染みだしたような空が広がっていた。
 ため息をついて足下を見ると、おろしたてのスケートボードシューズがある。バム・マージェラの限定モデルだ。横に入ったオレンジのラインが最高に格好よくて、発売日に並んで買った。ミケランジェロは怪獣みたいに足をばたつかせて靴を脱ぐと、左右の靴紐を結んで繋げ、首からぶらさげた。
 少年たちは屋上にのぼりきり、バットやゴルフクラブなど各々の武器を構えてミケランジェロの周りを取り囲む。数は7、8人といったところだろうかと目算をつけていると、彼らを押しのけてひときわ背の高い男が姿を現した。いくらか年のいった男で、ぶらりと下がった両手には、ナイフが突き出た鉄甲をはめている。その顔の大半は包帯に覆われて、唯一見える血走った右目がミケランジェロをじっと睨め付けていた。
こいつはやばいと肌で感じる。
「オイラになにか用?」
 答えはなく、ふと気配を感じて身を伏せた。小石がぶつかったような音を立てて、足元のコンクリートに穴が空く。あたりを見渡すが、こちらを狙う姿は目視できない。少年たちが武器を振り上げて襲いかかってきた。すぐさま身を起こして隣の屋上へ飛び移る。後を追うように放たれた銃弾がミケランジェロの被っていた毛糸の帽子をはじき飛ばし、鮮やかなマスクの帯をたなびかせた。地を蹴り、屋根から屋根へと飛び移る。右の屋根から左のバルコニーへ、雨樋を掴んでさらに上の屋上へ飛び上がる。少し遅れて追いついてきた鉄甲の男に白い歯を見せ、笑ってやった。
「遅いよー!」
 あはははと吐き出した息は白く夜空に立ちのぼる。
 ミケランジェロは一番高い貯水タンクのてっぺんまでたどり着くと、眼下にいる少年たちにみせつけるように両腕をひろげ、その身を宙に躍らせた。
 
 
 
 
 




 
 
 
 
 
 
 イーストリバー沿いにずらりと並ぶ貨物庫の中でも一際古い錆だらけの倉庫の入り口に、鼠色のスーツを着たスペイン系の男と、丸太のような腕に自動小銃を抱えた白人の男が立っている。白人は暇そうにあくびを一つして、ポケットから煙草を取り出しスペイン系の男に勧めるが、彼は難しそうな顔でそれを一瞥するだけだった。白人は舌打ちしながら港にならぶガントリー・クレーンを眺める。何トンものコンテナを日々積んでは降ろす鋼の足は真っ直ぐに海面を貫き、作業灯がその堂々とした姿を夜の海に映し出していた。煙草をくわえ、ライターをとりだして火をつける。灯った炎は煙草にたどり着く前に背後の風に吹き消された。不審に思って寄りかかっていた鉄扉を見上げる。ぴたりと閉められていたはずの扉の隙間から、ゆっくりと風が漏れだしていた。すぐさま倉庫の周りを回って窓が開いていないか確認すると、一つだけ鍵が壊されている窓をみつけた。白人はスペイン系の男を呼び寄せて中を指し示し、ゆっくりと室内へ足を踏み入れた。山積みにされた木箱が月明かりに照らされている。
『・・・もっと右っそっちじゃないよ・・・ま・・・重っ・・・はやくし・・・』
『いまやっ・・・てるっ』
 僅かに聞こえる囁き声に白人は小銃を構えなおし、スペイン系の男は懐から使い慣れたグロックを引き抜いて壁にある電気のスイッチを押し上げた。ばちっと古い電気回路が悲鳴をあげ、眩しいばかりの光が倉庫を包み込む。とたん、すばやく視界を横切ったものに白人は持っていた小銃を向けたが、人影はなく、ただ倉庫の中央に見たこともないような筒状の機械があるだけだった。剥き出しの配線が、溶接された鉄板に張り巡らされている。筒の下にはデッキブラシに似たナイロンの毛が隙間無く配置されていた。男達は疑問を投げかけるように顔を見合わせたが、2人ともそれがいったい何であるか分かるはずもない。 白人は一旦小銃から手を離し、慎重にそれに手を伸ばした。
 その瞬間、バチンと音がして電気が消える。続いて殴るような音が数回聞こえて、すぐにまた灯りがついた。地面には、白人とスペイン系の男が悲鳴ひとつあげることもなく、仲良く気を失って倒れている。
「・・・警備員ってわけじゃなさそうだな」
 木箱の山にかがんだ影が、ぽつりと漏らす。亀の甲羅に二振りの刀を背負い、青いマスク越しの両目が何も見逃すまいと光る。彼は丸い鼻先を木箱に近づけて、焼き印された表示を読み上げた。
「南米からだ。ホールトマトとオートミールと・・・」
「こっちはパイナップルだね」
 すぐ向かいで答えたもう一人は、肩口に下がった紫の端を指で弄んでいた。そして何を思ったのか提げていたバッグからバールを取り出して、木箱のフタを開けはじめる。
「ドニー」
「大丈夫だいじょーぶ!」
 中に詰まった木くずと一緒に大きなパイナップルが転がり出る。彼は感心したような声を上げて木箱の底から何か取り出した。それは掌サイズの手榴弾だった。楕円形の黒々としたボディの上部には起爆用のピンがあり、今は輪ゴムできつく固められている。
「表示は間違ってないみたいだが、えらく物騒だな」
「ジョンGの持ち物だからね、少々見慣れないものがあっても仕方ないんじゃない?まったく港湾警察はなにやってんだか」
 ふいに、強い風が窓ガラスを盛大に揺らした。差し込んでいた月明かりが暗闇に食われていく。2人は慌てたように木箱の影に隠れ、息を潜めた。
 風が止み、どこからか金属の軋むような音が聞こえてくる。トタンの屋根を走る足音がして、屋根の中央が強い圧力でへこんだ。夜空が顔を覗かせる。その隙間から転がるように落ちてきた誰かが、悲鳴をあげながら木箱の山に突っ込んだ。凄まじい音と共に木くずが舞い上がる。散開した積荷の隙間から足らしきものが覗いている。ジーンズから突き出ているのは人のものとは到底思えない緑色の足だ。力なく投げ出されたまま、ぴくりとも動かない。
 屋根が嫌な音を立てて軋み、一部が剥がれて地に落ちた。続いて降りてきたのは背の高い黒ずくめの男だった。長い両腕を揺らしながら動かない相手に近寄っていく。男は転がった足を掴んで軽々と持ち上げた。一見若者風の格好をした小柄な体躯がぶらりと垂れ下がり、明るい橙の帯がふっくらと丸い頬を伝い落ちて揺れる。男は手にした獲物を検分するようにじっと眺めて、不満そうな唸り声を漏らした。
 突然、倉庫の灯りが一斉に消える。パンっと銃声が一回。間を置かず、ばばばばと激しい銃撃の音が鳴り響いた。
 その音は地域一帯に響き渡り、近隣の住民が何事かと家を飛び出してくる。港中の灯りが点火して、残っていた作業員が倉庫に集まってきた。青い点滅と共にサイレンを鳴らし、パトカーが列をなしてやってくる。警察はギャング同士の銃撃戦を想定して、全員が防弾着を装備し、野次馬たちを遠ざけてバリケードをはった。どこで嗅ぎつけたのかマスコミのヘリまで飛んできて、辺りは一時騒然となった。
 その横を一台のワゴンが通り過ぎていく。街で人気のカワバンガカールの絵を腹につけて、ゆっくりと港を出、他の車に紛れて側道を走り出す。運転席には、神妙な顔つきでハンドルを握るレオナルドの姿があった。
「あれをうちで使おうとしてたのか・・・」
 ため息混じりに呟くと荷台から反論があがる。
「だから、改良中って言ってるじゃないか。結果的に役にたったんだからまずは褒めてもらいたいよね」
「お前は天才だよ、ドナテロ」
「あー、その言い方ちょっとトゲを感じるなぁ」
「本当さ。あれだけの密輸品を前に警察もシラをきることはできないからな。
なによりも戦わずに済んで良かった」
「無茶した兄弟へのお仕置きはあとで考えるとして、ね」
「っうー・・・」
 ドナテロの足元で小さな唸り声がして、むくりと体を起こした者がいる。状況が分かっていないのか、両手で体中を触って確かめている。その手が大きなこぶつきの頭に触れて、悲鳴があがった。
「マイキー」
 呼ばれて振り返ると、呆れたような顔をしているドナテロの姿。
「大丈夫か、ミケランジェロ」
 運転席のバックミラー越しに、レオナルドが問いかけてくる。ミケランジェロはぽんと両手を叩いて、
「もしかしてうまくいった!?」
「そうだね、お前が落ちてくること以外はまあ予定通りだったかな。お疲れ様」
「ええーそれだけ!?大事な服がこんなになっても頑張ったのにー?」
 ミケランジェロは汚れて真っ黒になってしまった服を脱いで殊更丁寧に畳むと、はっとしたように胸元に手をやった。
「ない!ないよ!バム・マージェラの限定モデル!ギャー!!戻ってー!戻ってよレオー!!」
 運転するレオナルドを後ろから羽交い締めにして騒ぎだす。ドナテロが暴れるミケランジェロを取り押さえた。
「ばかっ危ないだろ!」
「もう遅い、諦めろマイキー」
 窘める兄達に、ミケランジェロはぐっと口を引き結んで黙り込んでしまう。しばらくして鼻をすするような音が聞こえはじめ、見かねたドナテロが話しかけようとした矢先、それは起こった。
 突然ハンドルがとられて、レオナルドはブレーキを踏み込んだ。遅れてどどんと雪崩のような音が響き渡る。サイドミラーに、立ち上る炎の柱が映りこんでいる。今居た港の方からだった。誘発されて小さな爆発が幾つも起こり、さらに火の手は広がっていく。他の車も道の中央で停まったまま、呆然と夜空を貫く火炎を眺めていた。
レオナルドはすぐさまギアを切り替えてクラッチを外し、元来た道を引き返そうとした。サイドミラーから視線を戻すと、正面のガラスに張り付くようにして真っ白な男の顔がぶら下がっていた。
「レオ!」
 兄弟の呼びかけに我に返る。男の振りおろした鉄甲がフロントガラスにヒビを入れた。レオナルドはアクセルを踏み込んで一気に加速し、思い切りハンドルをきった。急な動きにタイヤが悲鳴をあげ、後ろにいた2人はなすすべもなく荷台でもみくちゃになる。男は振り回されながらもしがみつき、その手がついにフロントガラスをたたき割った。長い腕が伸びてレオナルドの胸にかかる帯を掴み上げる。ハンドルから手が離れ、瞬間、すべてが宙に浮いた。車は横倒しになって数メートルの間道を滑り、壁にぶつかって停止する。白い煙が立ち込める裏路地で、壊れたクラクションがいつまでも鳴り続けた。