古い煉瓦造りの下水道管には絶えずNY中の下水が流れ込んでくる。
 はじめは僅かな流れでしかないが、下へ向かいながら合流を繰り返し、地区ごとの貯留池に集められるころには、すさまじい勢いで渦を巻き、雪崩れ込む。
 その池の縁を慣れた様子で歩く者がいる。全身が隠れる長いマントを羽織り、目深にフードを被っている。格好からすると水道局の人間ではないらしいが、薄暗く細い道を歩く様に迷いは微塵も感じられない。勝手知ったる道、といった風である。
 ふと、何か気になったのかその人物は足を止め、フードの隙間からおおよそ人間とは思えない緑色の鼻先を覗かせて数十メートル下の池底を覗き込んだ。
「・・・雨か」
 まだ若いが、落ち着いた青年の声だ。彼の吐き出した白い息を追って頭上を仰ぐと、地下鉄が走り抜けていくのが見えた。老朽化した柱が嫌な音を立てて木くずを散らしている。
 鼻先を右手で覆いながら、青年は忌々しげに息をつく。
 気がつけば慣れ親しんできた古い線路は壊されて、新しい線路が幾つも引かれるようになっていた。その上をステンレスの新車両が、落書き一つないピカピカの車体をひらめかせて通り過ぎる。
 古いものの上には新しいものが積まれて、重なり合う線路の向こうは暗く、先が見えない。子供の頃はもっと、天井が近かった気がする。
そんなことを考えながら、青年は先を急いだ。
 




 
 
 
 
もぐらのくに
 




 
 
 
 
 
 
 
 
 彼らの家はNYの地中深くにある、何十年も前に廃線された旧地下鉄の駅舎の一つだった。
 煉瓦造りの駅舎の中には使い古されたソファやダイニングテーブル、冷蔵庫、キッチン、テレビまであり、住まいとしては十分の設備が揃っていた。もちろん正式に不動産会社を通した住居ではないし、郵便も届かない。人に知られてはならない理由があるからだ。
 駅舎の壁が開いて、入ってきたのは毛糸帽を目深に被った青年だ。両手いっぱいの荷物を手近な場所におくと、早々に着込んでいた服を脱ぎすてる。背中に堅そうな亀の甲羅が現れた。そこから伸びるのは力強い緑の両手足、鍛えられた筋肉に覆われて、晒した顔には人らしい耳も髪も生えていなかったが、赤いマスクに覆われた両の瞳に、確かな理性の光が灯っている。最後にレザーブーツを脱ぐと、彼はやっと解放されたと言うように首を鳴らしながら階段を下りてきた。慣れない格好だったのだろう、足並みがずっと軽やかだ。
薄暗い部屋の中には、テレビの音が鳴り響き、壁にちかちかと青白い光が反射している。
『---セントラルパークに突如現れた巨大な穴は今も増え続けています。整備局は悪質ないたずらと考え、公園の一部を閉鎖する旨を発表しました。市民の間に波紋が---』
 高そうなスーツにべったりとした赤のネクタイをしめたアナウンサーが口早にニュースを読み上げている。それを横目で見ながら部屋の明かりをつけると、奥からのんびりした声で「おかえりラファエロ」と聞こえてきた。
「明かりぐらいつけろよ、ドン」
 奥の椅子がくるりと回って、姿を見せたのは同じ甲羅を背負った兄弟、ドナテロだ。ラファエロに比べると華奢だが、やはりしっかりと筋肉のついた体をしていて、なによりも彼は天才的な頭脳を持っていた。ドナテロのおかげて電気も水も苦労せずにすんでいる。それも人様から拝借しているのでえらそうなことは言えないが。
 ドナテロの後ろには数え切れないほどのモニター画面がならんでおり、ラファエロには用途の分からないコードやリモコンが散在している。長い間モニターに向かっていたのだろう、ドナテロはうつろな目を乱暴にこすりながら、
「ごめん、気がつかなかった」
 むにゃむにゃと言って、彼のカラーでもある紫のマスクを巻き直した。
「おまえだけか?」
「先生は出かけた。マイキーはさっきまでアニメ見ながら走り回ってたけど・・・」
 言われてラファエロはテレビの前にあるソファをのぞき込んだ。案の定、末の弟のミケランジェロがお菓子のボウルを頭に被ったまま手足を投げ出して眠りこけている。巻いていたはずのオレンジのマスクが顔から外れてぐしゃぐしゃに絡んでいる。それを見たドナテロはにんまりと笑い、突然ミケランジェロの頭上でばんっと手を叩いた。
「バック転10回!」
 とたんに飛び起きたミケランジェロが、派手にひっくり返った。甲羅をさすりながらよたついている姿を見て二人は笑う。
「ちょっとぉ、オイラの大事な甲羅に傷がついたらどうすんのさ!」
 からかわれたことに気がついたミケランジェロが口をとがらすと、ラファエロが平たい箱を投げて渡した。
「マイク、ピザ買ってきたぞ」
「ゥワオ!ラフにしちゃ気が利くじゃん!」
「どういう意味だ」
 ミケランジェロがまん丸の青い瞳を輝かせて飛び跳ねる。
「僕のおつかいは?」
 とんとんと腕をつついてドナテロが顔をのぞき込んできた。ラファエロは置いてあった袋をドナテロに押しつけて、
「自分で確かめろ、おまえの注文は細かすぎてわかんねぇんだよ」
「おっと、WWFのプレミアチケット誰がとってあげたんだっけ?」
「うっせぇな・・・分かってるよ」
「え?なになに?」
「マイキーはいいの」
 身を乗り出すミケランジェロの頭をドナテロが押さえつける。
「いいじゃん、なになに?」
「あ、こらっ汚い手で触るな!」
「食べ物じゃないのかぁ」
「だー!投げるな!」
 ばたばたと騒がしい二人を眺めながら、ラファエロはいつもならここで止めに入るはずの兄がいないことに気がつく。
「あいつは?」
「レオ?刀の手入れでもしてんじゃなーい?」
 言われて彼の部屋をのぞき込むが、相変わらず気味悪いほどに整頓されており、本人の姿はない。
「ハっ!オレにガミガミ言っておいて、てめぇはちょっとおでかけかよ」
『一緒にするな』
 どこからか部屋の主の声が聞こえてきてラファエロは辺りを見回す。買い物袋を抱えたドナテロが再び椅子に座り直してモニターの向きを変える。キーボードをいくつか叩くと壁に並んだ画面に、煉瓦の坑道が映る。地下道のどこかだろうか。
「レオナルド、そっちはどう?」
『2番から8番までケーブルが切られてる。全部だ』
 画面が動いて、壁を這う太いパイプに詰まったケーブルを映し出す。見慣れた三本指が割り込んで、こちらに見えるように切れたケーブルを引っ張っりあげた。ドナテロはそれを見ると、ううんと唸って、別のモニターに何か打ち込み始める。どうやら探していた兄はモニターの向こうにいるらしい。
「おいどういうことだよ」
 戻ってきたラファエロが画面をのぞき込むと、ドナテロは背を向けたまま、
「発電機の供給が止まりかけてる」
「ああ?」
「だからぁ、テレビも冷蔵庫も使えなくなるってこと」
「げっ!」
「・・・マジかよ」
 ラファエロはやれやれと頭を撫で、丁度テレビゲームを引っ張り出していたミケランジェロがモニターに駆け寄ってくる。
『鼠じゃないか?』
 瓦礫を踏むような音に混じってレオナルドがつぶやく。場所を移動しているらしい。画面に映った坑道はモノクロのうえに輪郭が曖昧で、彼がどこにいるのか検討もつかない。
「ケーブルがなんボルトあるか知ってる?もしそうなら近くに死骸が転がってるはずだけど」
『・・・ない』
「そう簡単に切れるもんじゃないしね」
『実際切られてる』
「まあまあ、原因はあとで考えるとして、とりあえず戻ってきてよ。部品がそろったからさ」
 ドナテロが紙袋を叩いて言った。
『もう少し見ていく』
「え?何言ってんの、そこから先は・・・」
『気になることがあるんだ』
「レオ!」
「ほっとけよ」
 あぐらを掻いて画面に見入っていたラファエロが言う。
「でも・・・」
「リーダー様には、俺たちにはわからない何かふかーいお考えがあるんだろうよ。おい、行こうぜマイク」
「えあ?なになに?」
『ラファエロ・・・』
「修理ならオレたちだけで十分だ」
 言い捨てて立ち上がったラファエロと変化のないモニター画面を眺めながら、ドナテロとミケランジェロが密かにため息をつく。いつものことだ。こうなってしまうと止められるのは父親であるスプリンターだけだが、不運にも今は不在である。
『・・・そうか』
 しばらくして聞こえた囁くような兄の声に、弟たちは一斉に耳をそばだてた。モニターが動いて画面いっぱいにレオナルドの姿を映し出す。二振りの刀を背負い、全身を隠すように麻のマントを羽織っている。カメラが地面に置かれ、切れ長の目がじっとこちらをのぞき込んだ。
『ドニー、すまないが後を頼む』
「ちょっ・・・レオ!」
 いつもの言い合いが始まると思って身構えていた三人は、モニターに映る後ろ姿を追って身を乗り出した。それでもレオナルドは振り返ることもなく颯爽と坑道の暗闇に紛れ、やがて見えなくなった。
「あーあー、オイラ知らないよー?」
「・・・知るか」
 憎々しげ舌打ちをしながらもモニターから目を離さないラファエロに、ドナテロは首をかしげる。どうもいつもと感じが違う。
「レオと何かあった?」
 ラファエロの額に皺が寄る。
「あれ、図星?」
「うるせーな!修理すんだろ!行くぞ!」
 会話を断ち切ったラファエロが大股で出て行くのを、口いっぱいにピザを詰め込んだミケランジェロが追いかける。階段を駆け上がりながら楽しげに手招く弟に、ドナテロはやっと重い腰をあげて、走り出した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  もうどれぐらい来ただろう、消えかけの作業灯が細く続く旧道を照らしている。あちこちに横穴が空いて、崩れているものもあれば、どこに続いているのかわからないものもある。
 地下鉄の音も遠く、もうこのあたりは整備局も把握しきれていない坑道がうねうねと続いているだけだ。
 昔、民間事業だった鉄道会社が競い合うようにしてニューヨークに穴を掘った。結果財政難に陥って国が事業を買い取るまでそれは続き、作っただけで使われない線路はそのまま放置されたのだ。
 しばらく行くと、坑道のあちこちにスナックの袋や煙草の吸い殻が現れる。空気循環用パイプと雨水管の間にぼろぼろの布と毛布で寝床が作られていて、どうやら人が生活しているらしいことが伺えた。街を追い出された人間達だ。行き場をなくした人々が最後にたどり着く場所。
 地図もない場所に警察の手が伸びることはない。法治国家の中心にぽっかりと空いた無法の国だ。小さな頃から先生に言われてきた。そっち側に行ってはいけない。もぐらのくにではおまえの常識や正義など通用しないんだと。
 瓦礫の中、ごみと一緒に使い古した注射器が捨てられていた。レオナルドはそれを拾ってため息をつく。昔と何も変わっていない。ただ違うのは一人も人間らしい存在に出会わないことだ。皿にあけた食べ物が腐って異臭を放つ。考え込んでいると、隣を流れる下水の音に混じってノイズがかった話し声がして、刀の柄に手をかけた。
『--セントラルパークに建設された都市型下水処理施設は、CRT本格始動に向け-----市長が視察をおこ----汚水処理に使われる高分子凝集剤については公式の----抗議デモが--------』
 辺りをうかがいながら進んでいくと坑道は二股に分かれ、一方を進んだ先に巨大な鉄扉が現れる。扉に耳を当てると、無機質な話し声がはっきりと聞こえてくる。フードを目深に被り、音を立てないようにゆっくりと扉を開いた。湿ったラグを踏みつけ、感触に驚いて飛び退く。低い天井にぶらさがった電球が揺れて、そばの棚から何かが落ちて壊れる音がした。慌てて拾い上げると、それは甲高い音で大きく鳴いて次の瞬間、ぷつと事切れた。
 古いラジカセだ。
 声の正体が分かり、ほっとして棚の上に戻そうとしたとき、足下を横切る影に気がついて顔をあげる。
「待て!」
 声が幾重にも重なってこだました。影がぴたりと止まってこちらを向く。扉の隙間から伸びた淡い光が暗闇に小さな少年の姿を浮かび上がらせた。やせ細った手足、汚れた顔の中でぎらぎらした目だけがじっとこちらを見ている。
 二人とも言葉なく立ち尽くした。
 我に返ったレオナルドが手を伸ばすと、少年が掠れた息を吐き出す。
「ここに住んでるのか」
 少年は緊張と不安に瞳を揺らしながら後ずさる。
「他の人は?」
 なるべく刺激しないように少年のそばへ近寄ると、再び手を差し出した。目の前に差し出された手を見て、少年がびくりと体をふるわせる。優しく伸ばされた手には指が三本しかなく、肌はつややかな緑色だった。
驚いた少年の口が忙しなく動き、出てくるのは荒い呼吸ばかりだ。レオナルドはひざまずいて、少年と目線を同じくする。
「もしかして・・・話せない、のか?」
 聞くと、少年は口を引き結んで眉を寄せる。
「ご両親は?」
 少年はじっとこちらを睨み付けている。
「ずっと一人で?」
 眉間の皺がますます深くなる。
「どうして・・・」
 言いかけてやめる。代わりに細い肩を優しく叩いた。
「・・・良ければ・・・俺と一緒に上に行かないか。こんなところじゃ食べるものも手に入らないだろ。な?」
 とたん少年の瞳がきつい光を帯びて、レオナルドの手をたたき落とす。威嚇するように歯をむき出すとそのままきびすを返し、坑道の奥へ走り出した。
「おい!」
 レオナルドは慌てて後を追うが、散らばった物に足をとられ、少年の背中がみるみる遠ざかる。
「そっちはだめだ!」
 慣れた様子で走る少年は坑道の奥へ奥へと進んでいく。
 ドン、とどこかで激しく壁を叩く音がした。レオナルドは手を伸ばして少年の袖を掴もうとしたが、津波のような地響きが坑道を揺らし、膝をつく。地響きが轟音に変わり、うろたえる少年の腕をやっと掴んだその刹那、足下が崩れ、二人は坑道のさらに下へと投げだされた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「あ?こいつをどうするって?」
「違う違う、その隣の導線を、」
「これか」
「ちょっ、ひっぱらないで!」
「下へまいりまーす!下へまいりまーす!」
「マイキー!」
「上へまい、」
「まいらないから!」
 ドナテロの叫び声が響き渡る。
 さきほどから一向に作業が進まず、指示をするドナテロだけが青くなったり赤くなったりと忙しい。自分のバイク以外は興味のないラファエロと、そもそもそ今の状況を理解しているのかも分からないミケランジェロでは修理どころかさらに悪くなりかねない。
「あーもういい!もういい!僕が馬鹿だっだ!ほんとにごめん。だからお願いだから二人共何もしないで!」
「なにカリカリしてんだ」
「いやあねぇ、ドナちゃんたら堪え性のない男はモテないわよ!」
「ハゲんぞ」
「ハゲれないけど〜」
 がははははと、笑いながらこづき合い、二人は手に持っていたケーブルを力任せに引きずり出す。とたん下水道に響き渡ったのはドナテロのか細い悲鳴で、それに呼応するように作業灯が一斉に落ち、辺りは暗闇につつまれた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 








 ──蝋燭の火が頼りなく揺れて、道場に立つ2人を浮かび上がらせた。
 レオナルドが両の刀を引き抜くと、それに答えた彼が二振りのサイを引き抜いて構える。隣りで行儀良く見守っているのは他の兄弟たちだ。彼らの父であり師匠のスプリンターは奥の間に座って地蔵のように動かない。
『本気でいくぜ』
 ざらついた声で彼が言って、サイの切っ先がひらりと弧を描く。レオナルドは握り込んだ柄を二、三度握り直して挑発するように笑う。目線に合わせた刀身に期待で目を細める彼の顔が映り込む。
 あのとき彼が壊し、また彼が与えた刀だ。彼は覚えていないかもしれないが、レオナルドにとってその刀で再び相まみえることは少なからず意味があった。
 呼吸と同時に一歩出る。
 普段の組み合いではいつも出方を待つはずのレオナルドが先をとったことで、場の空気が変わった。斜めの一閃を彼が受け流す。体を反転して打ち出した蹴りを止められ、サイが真っ直ぐに突き出される。頬すれすれを過ぎる刃に彼に止まる気がないとわかり、レオナルドは酷く高揚する自身を感じる。
 再び振り下ろした両の刀を逆手に持ったサイが受ける。音を立てて流れた刀が床を撫で、次の瞬間、彼の膝がレオナルドの胸を打とうと繰り出された。とっさに体を引いてかわす。舌打ちと共に上体低く突っ込んでくる彼の顎めがけて今度はレオナルドが膝打ちを繰り出す。確かな感触。床に手をついてひらりと回る。体勢をととのえようとしたレオナルドの前により深く踏み込む彼の姿。蹴りの入りは決して浅くなかったはずだが、勢いまでは止められなかったらしく、そのまま力任せに床に押し倒される。突き降ろされるサイを刀で止めたがくるりと巻き込まれて刀は手を離れ、宙を舞った。こちらを見下ろす彼の顔。勝利を確信し、構えられた両のサイはしかし、そのまま振り下ろされることはなかった。
 とっさに振り上げた足で彼を押し倒し、形勢は逆転する。曇り一つない刃の先をのど元にあて、
『・・・どういうことだ』
 スプリンターが止めに入る前にレオナルドが口を開く。組み敷かれ驚いた彼の目が、みるみる覇気を無くしていく。レオナルドは弛緩した肩を掴み、震える声で叫んだ。
『ラファエロ!』
 
 
 
 
 
 




「ラファエロ?」
 大型の懐中電灯が考え込むラファエロの顔を照らす。彼は眩しげに手をかざして「なんでもない」と歩く足を速めた。
「お腹減ったー!ペパロニポテト〜チックタックチックタックうおっ!?ちょっとっおいらのスーパートリック見たドニー?」
「あー見た見たすごいや」
 ローラーが転がる音と笑い声がこだまして響き渡る。前方を行くミケランジェロがボードを走らせているらしいが、この暗闇の中で姿が見えるはずもなく、ドナテロはうんざりとため息をついた。よくボードなんか操れるものだ。
「おい、道合ってんのかよ」
「たぶんね」
「おいおい頼むぜ」
「誰のせいで、こうなったと思ってんの」
「あの石頭が途中で放り出すからだろ」
「おまえの脳みそはほっんと自分に都合の良いようにしか働かないよね」
「ああ?」
「レオの立場とか少しでも考えたことあるわけ?今回だっておまえがあんなふうにあおらなければ・・・」
「オレが何したってんだ!」
 突然激高するラファエロに、ドナテロは目を丸くする。
「えーと・・・」
 戸惑った様子のドナテロに、我に返ったラファエロが「悪い」と小さく呟いて先を歩き出す。その甲羅をとんとん、と叩くと、らしくなく神妙な顔をしたラファエロと目が合う。
「正直・・・僕にもよく分からないんだよね」
 懐中電灯が黒く濡れた壁を照らして揺れている。
「でも前と違うことは分かるよ。お前も・・・レオも」
 そう言って笑うドナテロの真意が掴めず、ラファエロはますます眉間の皺を深くした。その皺を指さして、
「だってお前がまともに僕の話を聞いて修理を手伝うだなんて、信じられないよ。ほとんど奇跡に近い。その結果これだけど」
「・・・そりゃどうも」
「我らがリーダーにも困ったもんだね。慣れないことしなきゃいいのに・・・」
 そうしてついたため息の理由を聞こうと身を乗り出したラファエロの後ろで派手に転げる音がして、ミケランジェロがかえるの潰れたような声で鳴いた。駆け寄った二人の足を暖かいものが撫で、顔を引きつらせる。ミケランジェロがドナテロにしがみついて悲鳴をあげた。
「なんかいる!」
「うわわわわっ」
 ラファエロは懐中電灯を取り上げて足元を駆けるそれを照らした。茶色い毛並みの小さなものが通り過ぎ、一匹がラファエロの足にぶつかってひっくり返った。掴み上げてまじまじと見る。ずんぐりとした体に突き出た鼻、顔には目がついておらず、短い前足には扇状の鋭い爪がついている。暴れるミケランジェロに羽交い締めにされたドナテロが、
「モグラだよ」
「ネズミじゃねぇのか」
「ううん、この鼻の形とか、見てほら、目がないだろ。ふだん地中で生活してるから退化したんだ。へぇ、珍しいなぁ」
「何それ!うっわ、オイラにもオイラにも見せて!!」
「マイキー・・・」
 さっきまで怯えていたはずのミケランジェロがモグラを奪いとろうと身を乗り出した。ラファエロがその手をひらひらとかわしてにやりと笑う。負けじとラファエロにのし掛かるようにして手を伸ばす。柔らかそうな毛先に指先が届く、そのとき、大人しかったモグラが急に甲高い声で鳴いて、牙を剥きだした。ラファエロがとっさに投げ捨てると、そいつはすぐに体を起こして走り去る。
「・・・モグラってのは凶暴なもんなのか」
「いたって大人しい動物だよ。主食はミミズや昆虫だね。すごい大食漢でずーっと食べ続けてないと死んでしまうんだ。アメリカに生息しているのはセイブモグラとナンブモグラの2種類しかいなくてね。あ、ちなみに一番巨大なモグラはヨーロッパの・・・」
 ドナテロが講義している間、三人の周りを囲むようにしてモグラが集まり始めた。一匹が狙いを定めたようにラファエロの足を駆け上り、柔らかい肌に噛み付いた。
「いっー!!?」
 そいつを引きはがして投げる。間をあけずに他のモグラがよじ登り、牙を剥きだして一斉に鳴きだす。
「おいドン!なんとかしろ!」
「いぎゃあああああ!くーわれーるー!!!」
「おっかしいなぁ」
 ドナテロは頭をかきながら、使い慣れた棒でゴルフの素振りでもするようにモグラを投げ飛ばす。しかし次から次へと現れる群れにとうとう逃げ道がなくなり、三人の甲羅がぶつかった。
 集まった何百という塊が彼らに覆い被さってきたそのとき、バチっと弾ける音とともに青い光が辺りを包む。身構えていたラファエロとミケランジェロがそっと目を開けると、壁から引き抜いたらしいケーブルを片手に立つドナテロの姿がある。導線が火花を飛ばして弾けた。地面に落ちたモグラ達が体を痙攣させている。
「まったく・・・」
「いたって大人しいってか?」
「・・・のはずなんだけどね」
 ドナテロが肩を竦めてみせた。
「ねえ、ラフ、ドニー!これこれ!」
 そう言ってミケランジェロが取り出したのは、カメラのついたヘッドセットだ。レンズがひび割れてしまっている。
「あちゃあ・・・酷いな取り替えるしか」
「あいつが使ってたやつか」
 ドナテロがそれを取って眺め、罰が悪そうに笑った。ラファエロは腰に差したサイを握りしめ、坑道の奥へ走り出す。
「行くぞマイク!」
 言われてミケランジェロが満面の笑みでドナテロを振り返る。
「いやいやいや、だめだって、まずは事態の検証をしないと、何があるか分からないだろ。それに僕たちほとんど装備をしてないし」
「ドニードニードニィィ〜」
 ミケランジェロが項垂れるドナテロの肩を引き寄せてぐりぐりと額を押しつける。
「・・・・・・・・・分かったよ」
 それもこれもレオナルドがいないせいで僕は悪くないよね、とドナテロは小さく愚痴をこぼし、半ば引きずられるようにして先へ歩み出した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 じわりと目を開くと、天井に大きな穴が開いているのが見えた。濁った水がしたたって、仰向いた額に落ちる。ずいぶんと落ちたものだ。
 このまま行けば地球の裏側にだって出られるかもな。
 頭上に空いた穴を眺めながら、レオナルドはぼんやりと考えていた。しばらくそうしていると胸のあたりでもそもそと動くものがある。きつく抱いていた腕をほどいてやると、それは顔をあげてレオナルドをのぞき込んできた。
「・・・大丈夫か?」
 目の前のつむじをぽんぽんと叩いて体を起こす。少年はいぶかしげに上から下までレオナルドを眺めると、体を起こして身構えた。
酷く狼狽している様子の少年に、レオナルドは被っていたフードが脱げてしまっていることに気がつく。その間もじっと見つめてくる少年にどう答えればいいのか迷っていると、少年は困った顔のレオナルドを敵ではないとふんだのか、くるりと背を向けて歩き出した。
「どこへ行くんだ」
 奥へ進もうとする少年の前に立ちふさがる。
「戻れなくなるぞ」
 見上げる瞳は冷たくレオナルドをとらえるだけだ。
 地下の住人に干渉してはならないという先生の言葉を思い出す。けれど、レオナルドはやせ細った少年の手足から目が離せなかった。
「いい加減にしないか!」
 レオナルドは思わず正面からしかりつけていた。
「君はまだ子供で、一人じゃ生きていけないんだ!永遠ここで暮らすなんてことはできない!分かってるはずだ!」
 少年の口が戦慄いて言葉にならない声を漏らす。瞳が揺らぎ、目の縁にみるみる涙が溜まって今にもこぼれそうになる。それを見たレオナルドが、はっとして我に返る。
「・・・とにかく、ここを出よう」
 少年は涙を堪えて俯き、立ち尽くしたままだ。どうしたものかと思案していると、背後でがらがらと何かが崩れる音がした。瓦礫の破片がレオナルドの足下に転がってくる。
天井の穴から差し込む光の外側で、何かがうごめいている。あたりに湿った獣の臭いが立ちこめた。少年もただならぬ気配に気がついたのか、きょろきょろとあたりを見回す。
暗闇の中からゆっくりと、レオナルドの顔ほどあるだろう巨大な爪が現れた。4本のかぎ爪と毛に覆われた腕が地面をえぐる。砂埃をあげて光の中に現れたのは何か動物の尾だ。ぞろりぞろりと地面を撫でて、何か探している。
「・・・なんだこいつは」
 レオナルドは身構えたまま、後ずさる。都市伝説にもなった下水に棲むワニを思い出したが、ここに奴の居られるような水場はない。第一奴には毛が生えていないし、こんな強烈な臭気もない。天井の穴から漏れる頼りない光の中に、毛むくじゃらの平たい顔が映る。その顔には目が無く、威嚇のために開いた口には赤黒く濡れた牙が見えた。
「・・・知り合いか?」
 少年がレオナルドの足にしがみついて激しく首を振る。
奥歯からしびれるようながらがらという鳴き声と共に、長い尾がもう二本、暗闇から現れる。どうやら一匹ではないらしい。レオナルドが少年を抱え上げて後ずさると、突如背中を押されて思わず地面に倒れ込んだ。頭をしたたかに打ち付ける。黒い毛に覆われた尾がすかさずレオナルドめがけて振り下ろされ、とっさに転がって避けた。しゅうしゅうと不満げな唸り声がする。天から差し込む光のせいで闇はますます深く、いったいそいつらが何匹いるのか検討もつかない。
 腕の中で震えている少年を担ぎ上げて、レオナルドは周囲を見回した。数メートル上の二人が落ちた穴から明るい坑道が見える。周囲は崩れてコンクリートの割れ目から鉄骨が覗き、配管が垂れ下がっていた。幸いなことにそのすぐそばにはあちこち穴の空いたコンクリートの柱がそびえ立っている。
「つかまれ」
 そう言うとレオナルドは少年を肩にのせ、柱に手をかけて登り始めた。
延ばした指先で柱の割れ目を探し、くないを突き立て、それを足場にして登っていく。中程までくると、老朽化した柱が嫌な音を立てはじめた。急がなければと、掴んだ腕に力を込めた瞬間、足場になっていた部分が崩壊し、がくんと体が中に浮いた。今にもはずれそうなくないを握り、ぐっと体を持ち上げて登ろうとするが、足をかける先から崩れていく。 宙に体を浮かせたまま、足元には得体の知れない暗闇。
「くそ・・・」
 先程まで怯えていた少年が、握りしめた手でレオナルドの背を叩く。
「・・・そうだなっ・・・」
 レオナルドは不敵な笑みを浮かべ、渾身の力で体を持ち上げる。なんとか穴の縁までたどり着くと、肩に乗った少年の腰を押し上げた。少年は懸命に瓦礫をよじ登り、垂れ下がったまま一息ついているレオナルドの腕を掴んで引っ張り上げようとする。
その間も少年の口が忙しなく動き、まるで自分を呼んでいるように見えた。
「・・・レオナルドだ」
 少年の唇がゆっくりとそれを形にする。頷いて見せると、少年は何度も何度もその名を口にした。
強く手を引かれ、レオナルドがやっと垂れ下がった配管を掴んだとき、配管の留め金が弾ける音がしてぐんと体が落ちる。とっさに少年の手をはねのけたが、レオナルドの体は宙に投げ出され、あっという間に暗闇に吸い込まれる。少年は落ちていくレオナルドに手を伸ばした、つもりだった。だが小さすぎる手は虚しく空を切り、耐えきれずに叫ぶ少年の喉は風が吹き抜けるような音を漏らすだけだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「まいったな・・・」
 一方、兄の行方を追っていた三人は、坑道の前で立ち往生していた。時折遠くから響く地鳴りに坑道が揺れ、ぱらぱらと瓦礫くずが落ちてくる。
 ドナテロは二股に別れた坑道の前で小型モニターを手に唸った。ボードを足で弄びながら、ミケランジェロがそれを覗き込んでいる。
 ラファエロも壁に寄りかかったまま、興味深げ辺りを見回す。
 モニターに表示された地図はここで途切れ、この先は彼らにとってまったく未知の領域になる。
「おいおい出入り禁止じゃなかったか、ここ」
ラファエロが言うと、ドナテロはちらりと視線をなげて、
「便宜上はね」
「なんかあんのか」
「レオがときどき見回りに行ってたみたいだよ」
 と、薄暗い坑道を指さした。初期の地下鉄道のために作られたもので、煉瓦造りの壁はあちこちに亀裂が入って今にも崩れ落ちそうだ。それにこの辺りには行くところのなくなった人間が住み着いているとも聞いていた。ドナテロが考え込んでいると、我慢しきれなくなったミケランジェロがボードに飛び乗る。
「二手に分かれて探せばいいじゃん。オイラがこっちでエロとドニーは向こうね!」
「てめぇ・・・」
「だめだよ、全員一緒に行動しなきゃ」
「平気だって!オイラにはこいつがあるし」
 と、ボードを足で持ち上げる。
「マイキー!」
 モニターを見ていたドナテロが慌てて行く手を塞ぐ。
「それに・・・ちょっと先まで行ったことあったりして」
 悪びれた風もなく言うミケランジェロに、兄達はがっくりと肩を落とす。
「見つけたらすぐ呼ぶからさぁ!」
「ちょっっ・・・マイキー!!」
 立ちふさがるドナテロをひょいと避けて軽快にボードで滑り出す。楽しげなミケランジェロの雄叫びが坑道にこだました。
「どうする?」
「・・・行くぞ」
 ドナテロが頭を抱え込む。その様を見ていたラファエロが、
「バカはバカなりに考えたんだろ」
 と、ため息混じりに言うのを確かに聞いた。ドナテロは歩き出したラファエロの背中を呆然と眺める。なかなか追ってこないドテナロを振り返って促す彼は、本当にあのラファエロだろうか。
「・・・やれやれ、みんな少しは計画立てた行動をしてほしいよね」
 なんだか気恥ずかしくなったドナテロはおどけたように言って坑道に足を踏み入れた。
「あいつに言え」
 彼は何か思い出したのか、気にくわないというように奥歯を鳴らす。
 
 
 
 
 
 
 
 
 




 ドナテロは、いつかの日を思い出していた。
 みんながまだ起きてもいない朝早く、徹夜でプログラムのテスト作業をしていたドナテロは冷めたコーヒーを淹れ替えにキッチンに向かった。しんと静まりかえったリビングを通り抜けて、キッチンの灯りをつけたとき、誰かがソファに座っていることに気がついた。驚いてカップをおとしかけたが、その誰かは気づいていないのか身じろぎもしない。
薄暗い中、目をこらすとふっと視線がこちらに向けられるのを感じた。
『ドニーか?』
『なんだ・・・レオか』
『どうしたんだこんな時間に』
『いまさっきテスト作業が終わったところなんだ・・・これから寝るよ』
『そうか、あまり無理はするなよ』
 キッチンの灯りに目が慣れていないせいか、淡々と話すレオナルドの表情が読み取れない。
『何か・・・あった?』
『眠れなくて、少し考え事をしてただけだ。俺もすぐ休むよ』
『そう・・・』
 よく見ると、ぴくりとも動かないレオナルドの足元が、濡れたように黒くなっている。テーブルの上には彼の愛用の刀が置かれ、鈍い光を放つ。なんだか胸騒ぎがして、ドナテロは手の中のカップを弄んだ。
『ドニー?』
 静かな声にびくりと肩を揺らす。
『そ、そうだ、レオもコーヒー飲む?インスタントだけど・・・ってこれから寝るのにコーヒーはないか、あはは・・・』
 うわずった声で話すドナテロに、しばらくの間を置いて、
『・・・もらうよ』
『え、あ、そう?待ってて、すぐいれるからさ』
 カップをもう一つ取り出して、二人分のコーヒーをいれる。砂糖を入れすぎたかもしれないが、じっとこちらを見るレオナルドの視線を痛いほど感じ、気にする余裕もない。
 テーブルに横たわる刀のそばにカップを置くと、小さく礼を言ってレオナルドの手がそれを取る。その手もぐっしょりと濡れて水が滴っていた。風呂にでも入ったのか、と顔を見ると、痛々しく腫れた頬が目に入る。ドナテロの視線に気がついたレオナルドは、罰が悪そうに息だけで笑う。
『そんなにひどいか?』
『まあね』
『見た目ほど悪くないんだ。すぐ直ると思う』
『そうなる前に言ってくれれば良かったのに』
『気をつけるよ』
『またケンカ?』
 それには答えずに、レオナルドはコーヒーに口をつけた。
『この頃はレオの方からわざとふっかけてるように見えるけど・・・』
『・・・』
『ほどほどにしなよ』
 そう言ってぽんと肩を叩くと驚くほど冷え切っていて、すぐに手を引っ込めた。何かかけるものを探そうときびすを返したドナテロの腕をレオナルドが掴んで止める。
『大丈夫だから』
『レオ・・・』
『おやすみ、ドニー』
 透き通った飴色の瞳がドナテロを捉え、それ以上何も言えなくしてしまう。
仕方なく自分のカップを手に自室へ向かうドナテロが最後に見たのは、空を睨む兄の横顔。何か得体の知れないものを背負う兄の姿から無理矢理視線を引きはがし、扉を閉めた。
 次の日、レオナルドが座っていた場所は何事もなかったように綺麗になっていて、濡れていたはずのマットは新しいものに取り替えられていた。レオナルドのカップは食器置き場に伏せられ、あのできごとが夢か何かのように思えた。
 けれど、それから何度か、徹夜明けの朝にはやはり同じ状態のレオナルドと鉢合わせた。ドナテロは黙ってコーヒーをいれること以外、何もできない。
 先生に相談しようかとも思ったが、日中、別段変わった風もなく、笑顔で過ごすレオナルドを見ていると、やはりあれは夢なのではないかと思ってしまう。
 ドナテロはぐるぐると陥ってしまう思考を懸命に振り払った。