とんとんと遠慮がちに扉を叩く音がして、目を開けた。
 折り重なるシーツの向こうに晴れ渡った空が見える。夏休みに入ってからは久しぶりの快晴だった。うつぶせになっていた体をずるずると起こして部屋を見わたす。中身が爆発したみたいなクローゼットと空っぽの本棚。倒れたゴミ箱と片方だけのスニーカー。別段いつもと変わらない。
「ラフ起きてるか」
 扉の向こうからヨシの声がする。
「ああ」
 ねぼけたまま返事をすると、部屋の扉が開いて、ぼさぼさ頭のヨシが顔を出した。
「おはよう」
「おう」
 未だ慣れない挨拶を交わす。ヨシは飛び出したシャツの裾をジーンズにしまって部屋を見回しながら、爆弾でも落ちたのかと笑った。
「いつ帰ってきたんだよ」
「4時間くらい前かな」
「寝てろよ」
「朝食を作ったんだ、一緒に食べないか」
 ヨシが隈のできた目を擦りながら言った。分かったとラファエロがベッドから降りると、ヨシは一つ頷いてから階下に降りていく。
 ラファエロは四散した服の中からスウェットの下と黒のタンクトップを引っ張り出して着こみ、窓をいっぱいに開けて風を通した。乾いた道路には、久々の晴天を楽しむ人々が多く出歩いている。身を乗り出して道路を端から端まで眺めたが、シルバーのボルボはなかった。
 少しこぶになってしまった後頭部を撫でる。まだ鈍く痛んで、ラファエロは身震いする。痛みに呼応するように、雨に濡れた服の感触や匂いや、彼の息づかいを思い出した。震える手を離し、もう無理だと囁く声も、はっきりと。
 ラファエロは乱暴に扉を開けて部屋を出た。一階に下りてリビングに向かう途中、傾いて戸が開きっぱなしのキャビネットが目に入る。行く足を少し方向転換してキャビネットの戸を閉め、ついでに端に寄っていた玄関マットの皺を直してから、リビングに入った。
焦げたバターの匂いがする。ヨシがキッチンから顔を出し、座ってと言った。いつも新聞が積み上がっていたキッチン横の丸テーブルがすっかり片付けられていて、新品のテーブルクロスがかかっていた。椅子を持ってきて座ると、コップと1ガロンの牛乳パックが置かれる。続いて白い皿が二枚。上には固めに焼いた目玉焼きとベーコンとぴんとはったレタス。バターで炒めたトウモロコシとほうれん草。山盛りのマッシュポテト。向かいにあるヨシの皿にはさらに薄く切ったトーストが二枚のっている。
 ヨシは大きなブルーの花が咲いたマグカップと新聞と郵便物を置いて席についた。それからインスタントのコーヒーをあけてポットの湯を注ぎ、近くの棚から、プレーンシュガーシリアルの箱と少し深めの皿を降ろしてラファエロの前に持っていく。ラファエロが自分用のスプーンとフォーク、それからヨシが使う箸を用意して二人は向かい合い、朝食を食べはじめた。
「狼は捕まったのか」
「え?ああ、なかなかうまくいかなくてね」
「カライが気にしてた」
「そうか・・・」
 ヨシは食べる手を休めて、郵便物の束を選定しはじめた。ラファエロがお腹を満たすことに専念しようとすると、今度はヨシの方から話しかけてくる。
「電話があったんだ」
 ラファエロは口いっぱいに頬張ったまま相づちを打った。
「学校からだ。あまり、成績が芳しくないと」
 口の中のものをごくりと飲み込んで、なんてことないふうにシリアルを皿にあける。
「それで勧められたんだよ、補習を受けるように。本人次第だそうだけど、もし次の学期でCマイナスが出たらもう後がないから、できれば参加したほうがいいそうだ」
 新しい牛乳パックの口をぱくと開いて、シリアルにかける。
「俺が家を空けていたせいもあるけど・・・ラフ、成績表渡されたんだろう。見せてくれないか」
 ラファエロは牛乳を置いて席を立ち、2階からしわくちゃの成績表を持ってきた。ヨシはテーブルに置かれたそれを長い時間をかけて眺めていた。しばらくして顔をあげた彼の眉は八の字に寄ってしまっている。
「・・・まあまあだな」
「ちゃんと通過してるだろ」
「でも学校は、」
「サキのとこの工場を手伝ってんだ。途中で抜けられない」
「後半だけでも出たらどうかな。たった一週間だ」
「一週間もだ」
「・・・分かったよ。好きにしたらいい」
 ヨシが選定した郵便の中から、封筒を一つ抜き出して封をあけた。何枚もある長い手紙で、ヨシはすこし驚いたような顔をして読んでいる。置いてあった封筒をとって差出人を見ようとすると、手が伸びてそれを奪っていく。ちらりと見えた名前は向こうにいる母親のものだった。
「手続きの書類だよ。面倒で困る」
 早口で言って、ヨシは封筒を胸ポケットにねじ込んだ。ラファエロはそれには触れずに、皿の上のものを一気にかきこむ。ふとヨシが思いついたように言った。
「そういえば玄関の棚はどうしたんだ」
 ラファエロは盛大に咳きだした。驚くヨシにラファエロは、こぼれたポテトを手ですくいあつめながら、
「オレの、オレの甲羅が当たったんだ。昨日雨が降ってたから、足が滑って、」
「そうか・・・ぶつかっただけで壊れるなんて、寿命かもしれないな。もう10年になるし・・・思いきって新しいのに変えようか、どうだ」
「んあ?」
「今日は休みなんだ、ラフは?」
「いや、なにも」
「じゃあ決まりだな」
 ヨシは浮かれたように言って目の前の皿に向き直り、上にのったトーストを二枚まとめて口にねじこんだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 開店したばかりのショッピングモールにやってきた2人は、さっそく家具コーナーに出向いた。サッカーコートほどもある広い店内にはキャビネットだけでもたくさんの種類があって、子供用から大人用、形もサイズも機能も驚くほど多岐に渡っていた。なかには靴箱とマガジンラックつきで簡易ベッドにもなるとかもはや用途の分からないものまである。途方に暮れた2人は店員に助けを求めたが大量のパンフレットを押しつけられたあげく、キャビネットどころかテレビを買わされそうになって慌てて食料品のコーナーに逃げ込み、結局、いつも通りの買い物をして車に戻ってきてしまった。
 袋いっぱいの買い物を荷台に放り込んだあと、ヨシが仕切り直しとばかりにぱんと手を叩いて言った。
「新しい棚は諦めよう。あれぐらい直せる」
「そうだな」
「じゃあ戻って今度は材料だけ買うんだ。それなら店員に聞く必要もないし、すぐ済むよな。だいたいの道具はうちにあるから、必要なのは金具ぐらいだし・・・」
「ついでに全部塗り直しちまおうぜ」
「なるほどいいじゃないか、そうしよう。まだ時間はあるんだ、2人でやればきっと、」
 楽しそうに話していたヨシの腰のあたりから電子音が響いた。ごめんと言ってベルトにつけたポケベルをとるヨシの顔から、みるみる笑顔が消えていくのが分かる。ヨシは何も言わずにポケベルを戻し、撫でつけた黒髪をぐしゃぐしゃとかきまぜてラファエロに向き直った。
「近くで被害があって、現場にいかなきゃならないんだ」
「ああ」
「悪いんだけど、」
「オレも行く」
「えっ」
「車でおとなしくしてるからよ、いいだろ」
「いや、それは・・・ううん」
「急ぐんだろ、行こうぜ」
「・・・ううん・・・」
「大丈夫だって」
「・・・現場には立ち入れないぞ。それに長くかかるかもしれない」
「別にいい」
「・・・・・・うん、まあ、いや・・・ううん・・・そうだな・・・」
「なんならトランクに入っていくか」
「分かった、分かったから・・・」
 ごろごろと空が嫌な音をたて、幾層にも重なった雲が太陽を覆う。ヨシは空を見上げて小さくため息をつくと、車に乗り込んでエンジンをかけた。ラファエロも助手席に座ってベルトをしめる。運転教則本に書いてあるとおりの左右確認をしているヨシにラファエロは言った。
「狼じゃないんだろ」
 カチとウィンカーを入れて、車は駐車場を出た。
「なんだって」
「犯人がいるって聞いた」
 車が加速する。大通りから外れ、しらかばの連なる林道をいく。ヨシは前を向いたまま、
「誰から聞いたんだ」
「さあ、誰かだろ」
「それで」
「2メートル以上の大男でのこぎりみたいな牙があるんだと」
「それはまたすごいな」
「どうなんだよ。本当に狼なのか?」
「話せないんだ」
 タイヤが道に落ちた枯れ枝を踏んでばちばちと車体に当たる音がした。
「狼じゃないんだな」
「そう言ったか?」
「同じようなもんだろ」
 目の前が開けて、凪いだ湖が広がった。車は湖に沿って走り続ける。
「あんたが毎日かり出されるのも犯人がいるからだ。野生の狼を見たって話も聞かねぇしな。犯人は町の人間だろ。じゃなきゃ黙ってる意味がねぇ」
 急に車の速度が落ちたかと思うと道を外れ、ボートの船着き場に頭を突っ込んで停止する。サイドブレーキを引いたヨシが、ラファエロに向き直った。
「最初の被害者は町外れに住む老夫婦だった」
 興味深げに耳を傾けるラファエロに、穏やかな口調のヨシは続ける。
「天気の良い日曜日だったからボートで釣りにでたらしい。いつもなら昼には帰ってくるのに、その日は夕方になっても帰ってこなかった。管理人から通報があって俺たちはすぐに向かったんだ。湖に出て隅々まで探したけどみつからなかった。次の日の朝いつも通りボート置き場に行った管理人が、老夫婦の乗っていたボートをみつけた。2人はボートの中で死んでいた。体中を食いちぎられてたから最初は俺たちも狼の仕業だと思ったよ。でも、歯形がどの動物にも当てはまらない。そうしているうちに同じような被害者が出はじめた、もう何人もだ。前は、お前と同じくらいの男の子だったよ、何メートルもある杉の木の枝に首だけがひっかかかってた。・・・どうだ、面白いか」
ラファエロはヨシの方は見ずに前方の船着き場を見ていた。入り口には鎖がかかり、休業中の札が下がっている。暗くよどんだ水面には空のボートが浮いていた。
「フォークスは平和な町だから、悲惨な事件はいい退屈しのぎになるか」
 何も言わずにいると、ヨシは深く呼吸して再び車を走らせ始めた。車内が重苦しい沈黙で満ちる。とんとんとハンドルを叩く音だけが長いこと続いた。
「・・・そうだな、今日は外で食べて帰ろうか」
 垂れてきた前髪を指でよけながらヨシが言った。
「買ったやつはどうすんだよ」
「それは明日にまわせばいいから、」
「明日からまた泊まりだろ」
「・・・だったな」
 そしてまた沈黙。
 ラファエロはなんだか寒いような胸のあたりで腕を組み、外を眺めた。
 森の向こうから、何かやってくる。一頭の雌鹿が、しなやかな足で地面を蹴り、一心に駆けている。追われているのか、長い首を前へ折り曲げ、口の端から泡を吹きながら走る。雌鹿は走る車のすぐ横を過ぎたところで突然姿を消した。不思議に思っていると頭上の枝が大きくしなって、何か大きなものが伝い降りてくる。遠目ではっきりしないが、緩慢な仕草で茂みから体を起こしたのは確かに人で、その独特の容姿に気がついたラファエロは思わず「レオナルド」と呟いた。影になった顔がゆっくりと振り返る。首筋がざわめく。ヨシがラジオのスイッチを入れた。電波が遠いのかぎゃらぎゃらと鳴るだけだ。一瞬そちらに気を奪われたラファエロが視線を戻すと、そいつは深い緑に紛れ、姿を消したあとだった。
「おい、」
「ん?」
「車停めろ」
「なんだって」
「とめろっ」
 キキっと音を立てて車は道の真ん中で停車した。ラファエロはベルトを外して車を降りると、暗くけぶる森へ飛び込んだ。
 ヨシがなにごとか叫んでいたが、構わず奥へ奥へ分け入っていく。はらいのけた小枝が腕や顔に当たってぱちぱちとはねた。男の姿を探すが、どこまで行ってもうっそうとした森ばかりが続き、名前を呼ぶヨシの声が遠くなっていく。
 ふいにカラスの鳴き声がして、横殴りの風が吹いた。立ち止まって荒く息をしながらあたりを見回していると、突然黒い塊が落ちてきて鼻先をかすめた。地面に落ちて、ぐしゃりと湿った音を立てる。見下ろすと、まるく見開いた動物の目玉とかちあった。赤茶色の体毛に覆われた面長の顔。小ぶりの耳と、なげだされた四本足。さっき逃げていった雌鹿だろうか。すでに事切れていて、口から紫色の舌が飛び出している。折れ曲がった首からどろりと黒いものが溢れる様をラファエロは息をするのも忘れて見入っていた。土や枯れ葉と混ざりあいゆっくりと広がるものが靴の先をかすめる直前、ふいに襟首をとられてよろめいた。みるとヨシが肩で息をしながら立っている。
 ヨシは足元に転がる雌鹿の死骸をみつけて息を飲んだ。それからラファエロの腕をぐいと掴みあげ、身を捩って逃れようとするラファエロを半ば力ずくで車まで引きずっていって、無理矢理助手席に押し込んだ。
「なにしやがる!」
「おとなしくしてる約束だぞ」
 低い声で言われて、ラファエロは口をつぐんだ。ヨシは酷くいらついたように前髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜ、トランクからスコップを引っ張り出してきた。そして、ばん、と助手席の扉を勢いよく閉めてそのガラス越しに、”おとなしくしてろ”と口だけを動かしてみせる。ラファエロは顔を背けて座席を倒した。ヨシはそれ以上何も言わず、手にしたスコップを持ち替えて、森に入っていく。重い灰色の雲が空を覆う。フロントガラスにぽつと小粒の雨が降りはじめる。ラファエロは苛立つ気持ちを抑えきれずに窓ガラスを蹴りあげた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
『だからお前も来いって。どうせ家で女のことばっか考えてんだろ』
「忙しいんだよ」
『もうお前も来るって言った』
「ああ?」
『エイプリルに』
「行かねぇぞオレは」
『馬鹿野郎!話聞いてたか?エイプリルを誘ったんだ!オレは!』
「夢の中でな」
『本当だって!』
「プロムに誘ったのか」
『いや、それはまだ・・・』
「・・・はあ?」
『ほら、相手の出方をうかがわないとさ、いろいろとアレだろ?だからまずはグループデートして、お互い少しずつ知り合っていけばいいかな、と』
「やっぱやめだ」
『おい!』
「めんどくせぇ。知らない女と二人でいるなんざごめんだ」
『知らない男ならいいのかよ』
「切るぞ」
『なあ!なあ頼むよ・・・一生のお願いだ。友達だろ?』
「・・・」
『チケット代はオレが持つから、な?』
「・・・・・・どこだ、その・・・なんとかってのは」
『ロックフェスさ!毎年湖のそばの広場でやるんだ。一日だけの小さいフェスだけど、去年はサプライズゲストにあのガンズが来たんだぜ!今年はレーベルピストルズが出るって噂だけど、オレの予想ではミシガンあたりじゃないかと思っ、』
「内容はいいからいつだ」
『来月の頭。エイプリルは朝から行きたいってさ。いいだろ』
「好きにしろ、オレはお守りでついてくだけだ」
『そんなこと言うなよ。行ったら絶対はまるぜ?保証する。じゃあまたな!』
 チン、と古風な音をたてる電話を切った。電話のある玄関からリビングを通りかかる。テレビが煌々と灯ったまま、今日あった野球のダイジェストを音もなく流している。ソファに座ってそれを見ているヨシの後ろ頭に呼びかけると、なんだ、とぼんやりした声がかえってきた。フェスに誘われたことを言おうとして、湖に近づくなと念を押されたことを思い出す。
「どうした?」
「・・・もう寝る」
「おやすみ」
「・・・ああ」
 ヨシは一度もこちらを見なかった。雨に濡れた服を着替えてもおらず、手に今朝届いた手紙を握りこんでいる。
 ラファエロはまっすぐに自室に向かい、部屋の扉を閉めて鍵をかけた。ドアノブに手をかけたまま考え込んでいるラファエロの頬を夜風が撫で、振り返ると窓が大きく開いたままだった。今朝閉めるのを忘れたのだと窓に歩み寄って、自然と知った車がないかあたりを見回している自分に気がついて笑った。
 霧で黒く濡れたアスファルトは、むっとするような嫌な匂いを発している。窓から身を乗り出して真下にあるエアコンの室外機の上から、くしゃくしゃになった煙草のソフトケースと銀のライターを手に取った。湿っぽい煙草を咥えて転がしながら物思いにふけっていると、扉を叩く音がして、起きてるかとヨシの声。驚いて、咥えていた煙草をゴミひとつない芝生の上に落としてしまう。
「開けてくれないか」
 ラファエロはライターを元の場所に戻し、部屋の鍵を外して開けた。真新しいシャツに着替えたヨシが、いやに緊張した顔で立っていた。
「今から行くのか」
「うん、呼び出しがあったんだ。今回はすぐ戻れると思う」
 といって戻らないのがいつものパターンだが、今は少しありがたい。気まずいまま、互いに顔色を伺って過ごすのはごめんだった。ヨシは腰につけた警官バッチに触れて、
「なあラフ、俺は少し焦りすぎてた。短い間でいろいろあったろう?それで・・・俺はラフとちゃんと家族のつもりだけれど、だからっておまえまで無理にそれらしくする必要はないんだ。分かるか?」
「ああ」
 目をそらさず答えるラファエロに安心したのか、ヨシはわずかに笑みを取り戻して続けた。
「じつは来月、児童福祉センターの人が様子を見に来ることになってる。俺も一緒に面談を受けるから家にいてくれるか?」
「・・・なんだそれ」
「俺たちは血のつながりがないから、正式な書類をつくるには幾つか審査が必要なんだそうだ。なに、すぐすむさ」
「・・・何か問題があるんじゃないのか、俺が、」
「それは関係ない。単純に手続きの話だよ」
 ヨシは朝食に誘っているときとまるで変わらない口調で言った。ラファエロは出かかっていた言葉を飲み込んで、ただ頷いた。彼の手が伸びて、ラファエロの頭をぽんぽんと叩く。つめたい、湿った掌だった。
「じゃあ、行ってくる。休みだからってぐうたらするなよ。掃除と洗濯を、」
「いつもやってんだろ」
「そうだな。ごめん、ちょっと言ってみたかったんだ」
「・・・問題なのはあんたの方じゃねぇのか」
「そうかもな」
 ヨシは少し恥ずかしそうに頭を垂れて、階段を下りていった。ラファエロはそのままヨシが玄関で靴を履き替えて出て行く音を聞いていた。ふと、仕事のときは彼がガレージに向かうことを思い出して窓に走り寄った。だか時すでに遅く、彼は芝生の上に落ちた煙草をみつけ、手にとっているところだった。ヨシが上をみあげる。ラファエロは慌てて頭を引っ込める。息をひそめて彼が戻って来るのを待ったが、エンジン音がして、そのまま車で行ってしまった。まずったな、と呟きながらラファエロは窓を閉じてベッドの端に寝転がる。寝返りを打てば落ちそうなくらい端っこだ。
『なにを考えてる?』
 昨夜、レオナルドと二人、シングルサイズのベッドの端どうし、こんな風に寝転がって天井を見上げていた。ラファエロは傷む頭を抱えたまま、なにも、とぞんざいに答え、レオナルドは、そうか、と頷いた。
 隣りに横たわる彼の姿は、まるで棺桶に入った死人みたいだった。彼は昔食べたピザがどうだの、最近読んだ本がどうだの少し早口であまり内容のない話をした。ラファエロも、へえ、とか、ふーん、とか適当に相づちを打った。そんなやりとりがしばらく続いたあと、レオナルドが急にガラス玉のような目をこちらに向けて自分のことを話しはじめた。
 彼ら冷人族は睡眠をとらないのだという。その間は、狩りに出かけたり、家族と昔の話をしたり、でも大抵は本を読んだり音楽を聴いたりしながら、一世紀近い夜を一人で過ごしてきたのだと彼は言った。ラファエロは彼の無機質な声にじっと耳を傾け続けた。そうしているとレオナルドは突然顔をぐしゃりと歪め、消え入りそうな声で、
『ラフの心を知りたい。言ってくれなきゃ分からないんだ』
 どこからか風が吹いてきて、ベッドが小さく揺れた。
 立ち込める森の匂いのなかでラファエロがうっすらと目をあけると、すぐ目の前に二本の足が投げ出されていた。足は泥のついたスニーカーを脱ぎ捨ててベッドの上へずりあがり、シーツをたぐって居場所を探している。ぼんやりと上をみると、いつ来たのか上下スウェット姿のレオナルドが壁に背中を預けて座っており、すっかりリラックスした様子でペーパーバックを開いて読んでいる。夢なのか現実なのか図りかねてじっとみつめていると、視線に気がついた彼が本から顔をあげ、寝ぼけ眼のラファエロに小さく微笑んで本を掲げてみせた。ラファエロは開け放された窓とレオナルドを交互に眺めて、
「・・・ピーターパンかよ・・・」
「いいなそれ」
 レオナルドは笑いながら本に目を落として続きを読みはじめた。
 一定の間隔でページを繰る音をうつらうつらしながら聞いていると、ふいにベッドが大きくかしいで、閉じかかった視界いっぱいにレオナルドの顔が広がった。彼は何を話すわけでもなくただ横たわって、ラファエロが眠りに落ちそうになるたび額や、頬や、服の端っこに冷たい指で触れてくる。何度払いのけても嬉しそうにするだけなので、もう抵抗する気も起きなくなる。そうやってまどろんでは戻りを繰り返すうちに窓の向こうはだんだんと明るくなってきて、ラファエロがもう限界だとばかりにくわっと盛大な欠伸をすると、レオナルドがぐっと身を乗り出してきてキスをする。妙な味がする。酸っぱいような苦いようなものを感じる。部屋はむせかえるような深い森の匂いで満ちている。
 
 
 結局、ラファエロが目を覚ましたのは昼近くになってからだった。レオナルドは来たときと同じように断りもなくいなくなっていて、窓は開かれたまま、外は相変わらずの曇り空だ。ラファエロは眠い目を擦って時計をみやり、ぶつぶつと床に向かって文句を並べたあと、ベッドを転がり降りて適当な服をひっつかみ部屋を飛び出した。仕事の時間まで、もうあまり間がなかったからだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 湖のそばにある広場は、ふだんはキャンプ場として使用されているが、その日は仮設テントがいくつも並び、小さな田舎町とは思えないくらいの人でごったがえしていた。派手に装飾されたアーチをくぐると、揃いのTシャツを着たスタッフに腕をとられ、スタンプを押しつけられる。特別なインクを使ってあるらしく、専用のライトで照らさないと見えないのだとケイシーが言った。
 あちこちで爆竹や、景気よくビンが割れる音がした。中央広場に5階建てのビルくらいはあるだろう大きなメインステージが組まれていて、ときどきマイクがハウリングする音や、巨大なアンプから楽器を調整する音が聞こえてきた。
 周囲には食事や物品販売のための出店がたくさん並んでいた。どの店も切り盛りしているのは町の住民たちだった。見ればスタッフの中にも知った顔が多く混じっている。
毎年湖畔で行われるロック・フェスは、元々フォークスと隣町の住民が親交のため夏に集まって好きな音楽や本や、ボードゲームに興じたりする小さなパーティだったのだそうだ。それが何年も受け継がれていくうちに人が増え、規模が拡大し、姿を変えて、いつしか名の知れた音楽フェスティバルになったらしい。
 周囲の観察に忙しいラファエロの隣で同じように首をめぐらせていたケイシーが、メインステージの前方に大きく手を振った。スキップ混じりで歩きだすケイシーについて前に行くにつれ、スピーカーから流れる音が益々強く耳を叩く。
「ようエイプリル!早いな」
「あなたが遅いのよ、ケイシー」
 二人を出迎えたのは、みごとな赤毛のすらりと背の高い美人だった。ショート丈のタンクトップと腰でゆるくとめたジーンズというシンプルな出で立ちだったが、雪のように白い二の腕や髪と同じ赤いピアスのついたへそがむき出しで正直、目の毒だ。
「エイプリル?」
 学校で見るのとはだいぶ雰囲気の違うエイプリルに、ラファエロはまじまじと聞いた。エイプリルは学校では優等生で通っていて、いつも分厚い眼鏡と、全身紺色のまるで修道女みたいな服を着ているところしか見たことがない。
「ラファエロ、よね?話は聞いてるわ、スプリンターの一族と仲が良いって」
「そうそう、こいつうまいことあのレオナルドに取り入って補習を逃れやがったんだぜ。オレなんか二年連続だってのに!」
「実力で通ったんだ」
「どうだか。生物なんか隣の席じゃないか。カンニングのしほうだいだろ」
「あのな、あっというまに答案提出しちまうんだぞ。そんなんで見れるかよ」
「それでもやれたらやるだろ。オレなら絶対やる」
「おまえはな!」
 言い合いをしていると、くすくすと笑い声がして、エイプリルの後ろから、ひょいと見知らぬ少女が顔を覗かせた。あまり背の高いほうではないラファエロよりも二回りくらい小柄な少女で、根本まで紫に染めた長い髪をツーテールに縛り、零れ落ちそうな茶色の瞳と、薄い唇、ちょっと生意気そうなとがった鼻には銀のピアスが光っている。彼女は忙しなくガムを噛みながらラファエロを眺めていたが、ふとラファエロが手首に巻いているリストバンドに目をとめて、
「あたしもミシガン好きだよ」
 と言って微笑んだ。そうするととたんに年頃の少女らしくなって、ラファエロはつられて笑い返す。
「この子はエンジェル、私の妹なの」
 エイプリルがエンジェルの肩に手をまわして言った。ラファエロは自分のリストバンドに目を落としながら、
「ミシガン好きなのか」
「うん、アルバムも全部持ってる」
「オレもだ」
「ほんと?中だとどれが好き?」
「オレはひとつ前のが気に入ってる」
「わかる!前きたときめちゃくちゃ盛り上がったよ!」
「へえ」
「来れば良かったのに」
「そうだな」
「街から来たんでしょ?そっちではどうだった?」
「いや、ライブは行ったことない」
「一度も?」
「今日が初めてだ」
「ふーん、あたしの友達にも親がうるさくて行かせてもらえない子がいるよ。ラファエロもそうだったの?」
 ラファエロはそれには答えず、困ったように頭をかくだけだった。
 どん、とスピーカーが振動してステージの照明が一斉に点火する。座りこんでいた人々が、ステージに向かって大きく移動をしはじめた。四人は流れにのって全体が見通せる4列目あたりで固まる。ラファエロはひときわ小柄なエンジェルが押しつぶされないよう周囲からかばいつつ、青や赤やオレンジに変わるステージをみあげた。
 照明がすべて落ちると、わっと波のような歓声があがる。ぎいんと高いギターに続いて地鳴りのようなドラムとベース、洪水のような照明が後を追って、つま先までしびれるような感覚。最初の曲が流れ、益々大きくなる歓声と狂気じみた雄叫び。あちこちから押されてもみくちゃになりながら、ラファエロはエンジェルに腕をつかまれ、ステージに向かって高く拳をふりあげた。
 
 
 
 
「聞いた?フェスが中止になるところだったって」
「まじかよ」
「また被害者が出たでしょ。となり町の警察も捜査に乗り出すって話」
「んじゃ、そのうち捕まるって」
「やっぱり犯人がいるってことよね?」
「かもな」
「・・・子供だったそうよ」
「オレはホームレスだって聞いたけど」
 午後になり、四人は出店のテントで早めの夕食をとっていた。夜のステージまでまだ時間があったので、食べ物をつつきながらなんとなく話しを続けていると、いつの間にか例の事件の話になった。エイプリルが真剣な顔で話すのに、ケイシーは分かっているんだかいないんだか、にやけ顔で答えながらもう何本目かのビールを傾けている。
「どうなんだよラフ」
 ふいにケイシーが聞いてくる。エイプリルが両の目を宝石のようにきらきらと輝かせて、
「どうなの」
「さあな」
「何も聞いてないの?」
「そうだよ、けちってないで教えろ」
 ラファエロは肩をすくめてみせた。エイプリルがなおも食い下がろうと身を乗り出したとき、隣でヌードルをつついていたエンジェルが突然立ち上がってラファエロをテントの下から連れ出した。背中ではやしたてるケイシーの声がしたが、エンジェルは気にせず広場の真ん中までやってくる。
 夕方近くになり、広場ではキャンプファイヤーが催されていた。爆ぜる火の熱さが感じるくらいの近くまでやってくると、エンジェルは深くため息をついて、
「話にのってやることないよ。本当はなんとも思ってないんだから、あの人」
「そうなのか?」
 テントの方を見ると、エイプリルとケイシーは顔を寄せ合い、小さく笑いながらひそひそ話をしている。エイプリルの方が視線に気がついて手を振ってくる。エンジェルは気にくわないというように鼻をならしてそっぽをむいた。代わりにラファエロがそれに答えながら、
「心配なんだろ」
「なにが?」
「おまえのことが」
「・・・そうとは思えないけど」
 エンジェルは口をとがらせて言った。
 ステージの音楽は流行りのポップミュージックに変わった。炎が薄紫色の空に向かって大きく手を伸ばす。近くで歓声があがって、酔っぱらった客が火の周りで組になり、プロムごっこをはじめた。奇声をあげ、ぐるぐるとまわりながらこちらに近づいてくる。押しのけられ、よろけてエンジェルの肩にぶつかったラファエロが彼らの背中に文句をつけていると、エンジェルがたしなめるように腕を引いた。そのまま少し開けた場所へ連れていかれ、振り返った彼女は、ラファエロの腕を自分の腰にまわす。
 オレンジ色に染まった大きな瞳がこちらを見上げてくる。音楽はスローバラードに変わり、あちこちでライターの火が灯って曲に合わせて揺れた。突然空いていた手を握られて、わけが分からないままくるくるとまわりはじめる。踊っているというよりもふざけあっているようにしか見えなかったが、少し入ったアルコールの力も手伝ってあっちこっちぐるぐる回っているうちに音や景色がごっちゃになって、まるで大きなステージで堂々と踊っているような大胆な気分になった。二人はめちゃくちゃなステップでそこら中をはね回った。どんと誰かにぶつかって転げ、大笑いしながらあやまった。ラファエロが尻餅をついたエンジェルに手を差し出すと、彼女は少し首をかしげながら、どこかの貴婦人みたいにその手をとって立ち上がった。歩み寄ってきた彼女が続きを催促する。隣で騒いでいたカップルが盛大に転び、げらげら笑いながら芝生を転げ回る。ステージの方から盛大な拍手がわき起こった。やかましかったステージの音が途絶えた。どっと人の波が押し寄せて、あっという間にエンジェルから引き離された。そのままどんどん別の方向へ押しやられながら、ラファエロは必死で流れに逆らい人ごみを掻き分けエンジェルの姿を探し名前を呼んだ。向こう岸で、同じようにエンジェルがラファエロを呼ぶ声がした。塊になった人々を強引になぎ倒すようにして抜けると、突然、呼ぶ声が悲鳴になって耳を貫いた。顔をあげるとエンジェルが数人の男に細腕を掴まれ、森の奥へと引きずられていくところだった。ラファエロは弾丸のように走っていって男達の背中に吼えた。中の一人が振り返り、にいと揃いの銀歯をみせて笑う。顔中にピアスをぶら下げた、大柄の男だ。こめかみから額にかけて、縫ったような大きな傷跡がある。よく見ればその後ろに立つ連中に全員、見覚えがあった。
 痛い!と腕を掴まれたエンジェルが叫び、男の足を蹴り上げてその手から逃れようとした。羽交い締めにしていた男はためらいなく彼女の頬を張った。止めろ、と身を乗り出したラファエロをがたいの良い数人が取り囲み、ゆうゆうと歩み寄ってきたピアスの男が気持ちを抑えきれないというように荒い息を吐きだして、言った。
「残念だったな」
 ねばついた声でつぶやく。
「助けは来ないぜ?」
 
 
 
 
 
 
 音楽はエレクトロビートだった。同じフレーズが繰り返し流れ、オートチューンが人工の建造物みたいにそびえ立つ。テントの外から差し込む光は青と白とレーザーの緑で、ラファエロはまばたきせずに移り変わる光を追っていた。
 エンジェルの小さな体は、男の膝の上でぐったりとしていた。最初は叩かれようと罵声をあびせられようと力の限り暴れて、言い返していたが、男たちはそれを楽しんでさえいた。泣き叫ぶ口にテキーラだのウォッカだのを流し込まれているうちに、だんだん静かになって今はもう意識を保つので精一杯という感じだった。
そうすると彼らの欲求の矛先は自然とラファエロに集中する。ラファエロはテントの梁に片方の足首をくくりつけられて、なすすべもなくぶら下がっていた。何度か拘束を解こうとしたが、そのたびに背中を押されてぶらぶら揺れるだけだった。
 床中に空き瓶が転がり、彼らはそれにつまずいて転びながら狂ったように笑った。テントの入り口は閉じられ、外も丁度ラストステージに向かってここ以上の騒ぎになっている。誰が気がつくはずもなかった。
「ざまあねぇな」
 ピアスの男が呟いた。あたりを見回しながら、
「お前、仲間に見捨てられたんだって?」
 意識のなくなったエンジェルを男達が乱暴に揺さぶって起こそうとしている。彼女は堪えきれずに嘔吐した。うわきたねぇ!と抱えていた男が立ち上がり、彼女は勢いよく地面に転がり落ちた。何度も叩かれた頬が真っ赤になって腫れているのが分かった。腹の奥が、フォークで引っかき回されたように熱くなった。
「おい!聞いてんのか!」
 どなられて、ラファエロは視線をピアスの男にやった。何も言わずに睨んでいると、男は持っていた瓶を床に叩きつけて割り、その欠片をラファエロの掌に握らせた。
「おれたちを見ろよ、ひどいだろ」
 額の傷をなでながら、酒くさい息をはきかけてくる。
「ちゃんと見ろ。あいつも、こいつもそうだ。・・・どれぐらい痛かったか分かるよな?」
 破片の入った手を握られた。ぎちと嫌な音をたてて、先端が突き刺さるのが分かった。ラファエロは大きく息を吸い込んだ。
「馬鹿にしやがって・・・おまえらはいつもそうだ」
 指の間から、熱いものがしたたった。苦痛にゆがむラファエロの顔を見た男は笑みを深くして、握る手を益々強くした。ラファエロの口からあえぎが漏れ聞こえると、彼らは雄叫びをあげてはやし立てた。背中を押されて大きく揺れる。別の手が伸びてきて思い切り殴られた。男たちは代わる代わる、ふりこみたいに揺れるラファエロにラリアットのものまねをして笑った。
 激しく揺れる視界の中、ラファエロは地面に横たわるエンジェルの背中を見ていた。ほどけた髪が蛇のようにうなじに張り付き、肩が苦しげに上下する。興奮して暴れ回る誰かの足が彼女の小さな頭や背中をけるたびに体を縮こまらせて震える。
 ラファエロは前に向きなおり、向かってきた一人を体をねじって避けた。空振りする男から空き瓶を奪う。そのままひいひい笑うピアスの男の顎めがけて瓶の底を振りあげた。まともに受けた男の体が衝撃にぐるんと一回転して地面に倒れ、驚きと怒りに満ちた目を剥いた。
 彼らは一斉に襲いかかってきた。ラファエロは反動をつけて上半身を跳ね上げ、足首の拘束に手をやるが、結び目は益々固く食い込むだけだ。唸りながらめちゃくちゃに引っ掻いていると、急にロープが切れて頭から地面に落ちた。そのまま男達の足の間をごろごろと転がって、テントの柱にぶつかった。男達が目標を見失ってうろたえる。ラファエロはすぐさま体を起こし、テントを支える杭を引き抜いた。横に転がってもう一つ手に取る。ゆうに30センチはある鉄の杭だ。手の中でくるりと一回転させ、向かってきた彼らの手にある瓶を片っ端からたたき落とす。再び杭を持ち替え、その頭で彼らのみぞおちに深く一発ずつ入れていく。ピアスの男は怒りのあまり首まで真っ赤になって唾を吐き、わめき散らした。
 テントの布が風に吹かれて大きくまいあがった。バランスを崩した梁が嫌な音を立てた。外れたパイプが男達の上に落ちてくる。ラファエロはとっさにエンジェルの上に覆い被さった。固い甲羅にいくつも鉄が跳ね返る音がした。
 
 
 
 音楽はロックだった。低いビートとギタースラッシュががなった。わっと歓声があがって意識が浮上した。遠く聞こえてくる曲の後を追うように調子っぱずれの鼻歌が聞こえてくる。
 すぐそこで、黒い塊がリズムに合わせて揺れていた。目をこらすと、夏の最中だというのにレザージャケットを羽織った、異種族の男が見える。男は折り重なったテントの布を掻き分けて、熱心に何かを探している。しばらくしてそいつが引きずり出したのはピアスの男の上半身だった。気絶しているらしく、白目を剥いたままぴくりとも動かない。
 ラファエロが起き上がろうともがくと、気がついた異種の男が振り返る。男は片方だけの目を細め、テーブルの上のナプキンをとって首に巻くようなふりをしてみせた。男の膝の上で、力ない首が月あかりに晒される。かっと真っ赤な口が開いた。異様なほど尖った犬歯が、柔らかい首すじに突き立てられる。とたんに溢れだす血を一心に啜り、男は感極まったような声を漏らした。うっとりと潤む深紅の瞳と目が合うと、ラファエロはまるで自分がそうされているような錯覚に陥った。痛みと重い快感がない交ぜになって全身を駆け抜け、押し上げられる衝動に熱い息を吐く。きつい血の匂いが漂っていた。森で見た雌鹿と同じ、掘り返された新しい土と、半分固まってゼリーのようになった血液から香る、死の匂いだ。
 
 
 
 









トワイライト〜亀