「プロムパーティ?」
 呆れて問い返すと、ケイシーは自分のロッカーに寄りかかったまま頷いた。
「・・・で?」
「いや、ラフは誰を誘っていくのかと思ってさ」
「お前はどうすんだ」
「オレはエイプリルを誘ってみるよ」
「あの優等生を?はっ、」
「笑っとけ。驚くなよ、彼女は、絶対、オレに気がある!」
「めでたい脳みそだな、おい」
 ラファエロが転校してきてから、ひと月が経っていた。もう誰もラファエロを好奇の目で見ることはなく、今は数ヶ月先のプロムパーティーの話題でもちきりである。これ見よがしに視線を送ってくる女子生徒と、浮き足立つ男子生徒たちの焦りが学校中を駆け回っていてとにかく騒がしい。
「ラフはどうする?相手がいないなら紹介し、」
「めんどくせぇ・・・」
「はあ!?馬鹿、おまえ、女を口説くのにこんないい口実はないだろっ、うまくいったらアレもコレもしたいほうだいじゃねぇか!」
「お前の頭ん中はそれだけか」
「そうだよ悪いか。オレは、オレだけを認めて好きになってくれる運命の相手とめぐりあいたいんだよ!」
「せいぜい頑張れ」
「おいラフ!」
 学校の終了を告げるチャイムが鳴り響いた。
 ラファエロは鼻息を荒くするケイシーを尻目に手早く荷物を纏め、ロッカーを閉じて歩き出す。わめき散らす友人にひらひらと手を振って、廊下を曲がった。そこへ突然人影が立ちふさがり、驚いて飛び退いた。
「ラファエロ!」
 やけに嬉しそうに名前を呼ばれて顔を上げると、青いマスクをはためかせたレオナルドが立っていた。綺麗にアイロンされた白いシャツをきちりと上まで留めて、その上にほがらかな笑みをのせた顔がある。
「久しぶりだな。どうしてた?」
 廊下を歩く生徒達の視線が一斉にこちらに向けられるのを感じながら、ラファエロは言葉を失って立ちつくしていた。
「ラフ?」
 生物室での一件があってから、レオナルドは学校に出てこなくなった。聞くと、どうやらスプリンターの一族はそろって海外旅行にでかけたとかで、そういうことはわりと頻繁にあることなのだそうだ。晴れの日なんかが続くと、家族でバカンスが常識らしい。その間ラファエロは、ふつふつと煮え切らない怒りを抱えて過ごしていた。それなのに、何事もなかったかのように気安く声をかけてくるレオナルドがまったく理解できない。しかも友人みたいに呼び止められるなんて。
「・・・しらねぇよ、お前なんか」
 吐き捨てて、横を通り過ぎると、彼は焦ったように後をついてきた。
「なにを怒ってるんだ。どこか具合でも悪いのか」
「別に」
「ならいいが・・・、」
「・・・なんの用だ、俺は忙しいんだよ」
「いやその・・・ラフは誰とプロムに行くのかな、と思って」
 ラファエロは急ブレーキを踏んだように立ち止まり、くるりと彼に向き直った。そして目の前のきょとんとした茶の瞳に人差し指をつきつけて、
「っなんでてめぇにそんなこと教えなきゃなんないんだよ!オレが誰とプロムに行こうがオレの勝手だろうが!」
「じゃあ決まってるのか・・・」
「ねぇよ!」
「あ、それなら、」
「いないわけじゃねぇ!まだ誘ってないだけだ!」
「えっ」
「これから誘う!っ・・んだよ・・・」
 ラファエロはごにょごにょと言葉を濁して顔を赤くした。本当は誘うあてなどなかったからだ。誰かと聞かれたら、もう後がない。ラファエロが緊張で体を強ばらせながらその瞬間を待っていると、彼はふっと小さなため息を漏らして、そうか、と呟いた。物言いたげな視線を寄越し、でも何も言わずに、それじゃあ、とラファエロに背を向けて行ってしまう。取り残されたラファエロが我に返ると、廊下をいく生徒たちもまるで興味をなくしたように散っていった。
 ラファエロはなんだか大声で叫びだしたい気分になった。けれど口を開いても出てくるのは意味をなさない掠れた音ばかりで、結局とぼとぼと廊下を歩いて校舎を出、駐車場に向かった。もはや定位置となった場所の真っ赤なバイクに跨って、エンジンをかける。
 家路につく生徒の群れの中に、ひときわ目立つ三人組が歩いて来るのが見えた。彼らはラファエロと同じ姿形をしているが、全員染み一つ無い白い服を着ていて、道ゆく彼らが笑うとその場に居合わせた生徒たちは皆一様に微笑んで彼らを見送った。先頭をゆくのは相変わらず仲が良さそうなあの二人だ。繋がれた手は、恋人同士のそれというよりも、互いが自らの半身であるというように自然な仕草で重なり合っていた。二人は黄色のBMWのキーを空け、あとをついてきたもう一人を振り返る。彼はBMWの隣に停まっていた真新しいシルバーのボルボに乗り込むところだった。これから行く先の相談でもしているのだろう、楽しげに話す三人の視線が、突然、示し合わせたようにこちらに向けられる。
 びくりと体を揺らしてラファエロは身構えた。けれど、彼らの視線はやけにあっさりとラファエロから外れ、また関係のない談笑を始める。
 ラファエロは笑う彼らから視線を引きはがした。苛立ち混じりに二度、三度と多めにエンジンをふかし、ヘルメットに手を伸ばす。
 そのときだった。駐車場の入り口から、激しいブレーキ音がして、一台のスポーツカーがまっすぐにこちらに向かってきた。フロントガラス越しに見える運転手の顔は蒼白で、ラファエロはスピンしながら自分の方へ突っ込んでくる車を、どこか他人事のように眺めていた。事態に気がついた生徒達がきゃあと悲鳴をあげ、スポーツカーは並ぶ車に次々とその鼻先をこすりつけ、がつん、と音を立てて停止した。
 運転手はハンドルを握り込んだまま、自分がしてしまった恐ろしい事実を目の当たりにする。車の鼻先が停まっていたミニにめりこみ、花壇と車の間にできたわずかな隙間に、横倒しになった赤いバイクと、二つの人影がみえた。
 ラファエロは地べたに尻もちをついたまま、恐る恐る目を開いた。目の前に、白いシャツの腕が伸びて花壇の土に手首まで埋まっている。反対の手が大きく凹んだ車の腹を押しのけていた。
 まるでラファエロを庇うように広げられた両の腕。つられて視線をあげた先で、ラファエロは鋭い金色の目玉にかち合った。
「レオナ、」
 かすれた声で名前を呼ぼうとして、強い力で肩を掴まれる。驚くほど冷たい手だった。
「大丈夫か!?」
 ものすごい剣幕でつめよってきた彼の瞳は、柔らかな濃茶に戻っていた。ラファエロががくがくと頷くと彼はほっとしたように息を吐いてゆっくりとその手を離し、駆け寄ってきた生徒たちの群れに体を滑り込ませた。
「まっ・・・」
 彼は人並みに飲まれてあっというまに見えなくなった。遠く、駐車場の端のほうでオレンジと紫の二人組が仲良く手を繋ぎあったまま、じっとラファエロを見つめている。まるで品定めでもするように。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
『・・・昨夜未明、湖の船着き場で遺体が発見されました。遺体は動物に噛まれたようなあとがあり、警察は森を追いだされた狼が食べ物を求めてうろついているのでは・・・・・・地域住民に警戒を呼びかけています。・・・近年頻発する野生動物の被害は・・・』
 やけに静かなリビングには、テレビのニュース速報が繰り返し流れていた。ラファエロはソファに寝そべって、学校の図書室から借りてきた分厚い医学書を開いているところだった。テーブルの上には飲みかけのココアとノートパソコンが置かれ、画面にはやはり医学関連のページが表示されている。
 ラファエロは深いため息と共に医学書を閉じた。額に張ったアイスパックを引きはがしてゴミ箱に投げ捨てる。パソコンに向き直り、検索画面に新しいワードを打ち込んだ。
<フォークス><事故><怪力><金色の目>
 情報は山ほど出てきた。ラファエロは手首に巻かれた包帯を解きながら、テレビの速報を眺めた。そして、また幾つかワードを足していく。
<冷たい><人間>
 画面が切り替わり、映画のタイトルやオカルト関連の記事に絞られた。ずっと辿っていくと、中に小さな本屋の紹介文をみつける。それはフォークスに古くからある古書店で、フォークスの歴史や言い伝えを専門にしたいわゆるサブカルチャー向けの書店である。販売物リストの中に、<狼と冷人族>という本があった。フォークス出身の民俗学者が書いたものだ。本屋はここからそう遠くない場所にある。ラファエロが鞄からノートを引っ張り出してその店の住所を書き写していると、玄関の鍵をはずす音が聞こえ、ヨシが帰ってきた。まるでゾンビみたいにずずっと足を引きずるようにしてリビングにやってくる。ここのところ、ヨシは眠る間もなく現場にかり出されていた。ラファエロの姿を認めて笑いかけてくる顔にも覇気がない。
「おかえりだな」
「ただいまラフ。具合はどうだ」
 ラファエロが両手を広げておどけてみせると、ヨシは目尻に皺を寄せ、ラファエロの肩をぽんと叩いた。そのままどかりとソファに座りこんでため息をつくヨシに、なるだけ明るい声で話し掛ける。
「飯は?」
「いい、着替えたらすぐ出るから・・・」
「飯食うぐらい誰も文句言わねぇよ」
「うーん・・・」
「ここにいろ。すぐできるから」
 顔を覆ってうんうんと唸っているヨシをそのままに、冷蔵庫に作りおいていたハムサンドを皿に空け、コップに注いだ牛乳と一緒にリビングに戻ると、ヨシはソファに背を預けたままこくりこくりと船を漕いでいた。しかたなく食事をテーブルに置いて、タオルケットを体にかけてやる。正体を無くして眠りこけるヨシを眺めていると、ラファエロは悲しいんだか嬉しいんだかよく分からない気持ちになった。自分がいまよりもう少し大人なら、役に立てることもあるんだろうかと考えた。小さく鼻を鳴らし、開きっぱなしだったノートと鞄を掴むと、ラファエロは家を出てバイクを走らせた。
 古書店は、街で唯一のショッピングモールから少し離れた丘の上にぽつりと立っていた。木造の小さな店で、店主であろう男が一人、カウンタにしかめ面で座っている。きつめのドレッドヘアをしていて、髪には色とりどりのビーズが編み込んであった。隣に住むサキを思い出す。フードを深く被ってうろうろと店内を見て回っていたラファエロは店主のいぶかしげな視線に気がつき、慌てて探していたタイトルを告げ、本を買って店を出た。日が落ちて、モールに明かりが灯りはじめる中で、ラファエロは歩く時間も惜しいというように買ったばかりの本を開いて読み始めた。
<狼の一族>
 本はそこから始まっていた。
 フォークスがまだフォークスでなかったころから存在する一族で、土地と掟を守り監視している。特に冷人族とはゆかりが深く、時代によって敵同士であったり、一時期は共存していたこともある。
 ラファエロは歩きながらページを捲り、冷人族の章を開いた。
<冷人族>
 フォークスに突如現れた異形の一族。人間の生き血を吸い、永遠の命を持つ伝説の魔物。ヴァンパイアと呼ばれることもある。みな一様に美しい容姿をしており、その魅力で人間をたぶらかして生き血を吸う。死人であるために体温はなく、日の光に弱いとされている。
冷人族はフォークスの村人を襲い、その土地と掟を侵したため、狼の一族と対立して一時は根絶されかけた。
「・・・まさかな」
 ラファエロは自嘲的な笑いをうかべて本を閉じた。氷のように冷たかった彼の手を思い出す。金色の目玉に浮かんだ、ほんの僅かな渇望の色を。
 ラファエロがモールの駐車場につくと、バイクの周りに数人の男たちがたむろしていた。歩いてくるラファエロに気がついた男たちは、にやにやとたちの悪い笑みを浮かべてラファエロのまわりを取り囲む。
「なんか用か」
 強い口調で問うと、顔中にピアスをぶらさげた男が進み出て、ラファエロが持っていた本を叩き落とした。かっとなって男を押しのけると、後ろにいた二人がラファエロの腕を掴んで羽交い締めにする。
「最近・・・珍しい異種の混血が入ってきたって聞いてさあ。このダセぇバイク、お前のだろ?」
 男がバイクを蹴り倒す。
「なにすんだてめぇ!」
「困るんだよなぁ、これ以上街にバイキンが増えると。・・・出て行ってくれない?」
 濁った目が細められる。男はラファエロが被っていたフードを払いのけ、ズボンのベルトをナイフで切り落とした。ラファエロは足を振り上げて暴れたが、数人に取り押さえられ、あちこち引っ張られながら服をはぎ取られた。深い緑色の肌と、丸い甲羅が現れる。男たちはひやかすように口笛を吹いた。唸り声をあげて威嚇するラファエロを無理矢理立たせ、男たちは好奇に満ちた目線で眺め回す。
「混血ってことは、おふくろか親父が異種ってことだろ。ハっ!ヘドが出るぜ。見ろよ!気味悪いツラしやがって!」
 男の手がラファエロの顎を掴み、捕った獲物を自慢するように掲げて笑う。ラファエロはすかさず目の前の手首に噛み付いた。離せとわめく男の肌を食いちぎらんばかりに噛みしめる。見ていた仲間が棒きれを持ち、ラファエロの頭を殴りつける。衝撃に意識が遠のいた。 激昂する男たちを前に、ぐったりと項垂れる。足を掴まれ、引きずり倒される自分をどこか遠くに感じる。
 強く目を瞑った。
 風が吹いた。
 そして再び目を開くと、ラファエロは地べたに転がって、星空を見上げていた。ひんやりとした手に触れられて、意識が浮上する。闇夜に光る金色の目。緩慢に体を起こすラファエロの姿を目にした彼は、ぞっとするほど冷たい光を両目に宿して背後に立つ男達を振り返った。
「おまえ・・・スプリンターのっ・・・!」
 最後まで言わせずに、彼は男の顔をわし掴んで地面に叩きつけた。ぐしゃと無惨な音を立てて男が痙攣を繰り返す。続いて飛びかかってきた二人の腕をまるで小枝か何かのように軽々とへし折り、転がった一人の膝を蹴り砕く。見ていた仲間は、悲鳴をあげて逃げ出した。
「っやめろレオナルド!」
 逃げる男達を捕まえようと地面を蹴りかけたレオナルドは、背後から強く引き留められ、怒りが収まらないといった顔でラファエロを振り返った。ラファエロは震える手で彼の服の裾を掴んだ。
「もう十分だろ・・・っ」
「十分?まだだ。こんなもんじゃ足りない!」
「オレがいいって言ってんだよ!」
「よくない!君はこいつらが何をしようとしてたか知らないからそんなことを言うんだ!」
「たいしたことねぇよっこんぐらい」
「そんなことない!こいつらはっすごく酷いことをしようとしてた・・・!」
「なんだよ・・・酷いことって」
「・・・とても・・・とても酷いことだ・・・口にしたくない」
 ラファエロは、散らばった服をかき集めて早々に着込むと、押し黙ってしまったレオナルドの手をとって歩き出した。騒ぎになる前にこの場から離れなければと思ったのだ。
初めて繋いだ彼の掌は、しっとりと夜霧に濡れたように冷え切っていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「・・・それで、なんでお前がここにいるんだ?」
 逃げるようにして駆け込んだダイナーで、ラファエロはひりひりと傷む額にコーラの瓶を当てながら聞いた。彼は、先程までの怒りに満ちた姿が嘘のようにしゅんと肩を落として向かいの席に座っている。
「・・・言ったら、きっと怒る」
「そんなことわかんねぇだろ」
 レオナルドはふうとため息をついて上目遣いにラファエロを伺いながら呟いた。
「後をつけたんだ」
「はあ!?」
「気になって様子を見に行ってた」
「オレんちに?」
「そうだ」
「いつ」
「ラフが車にひかれそうになった日から、ほぼ毎日」
 ラファエロは呆れてものも言えなくなった。
「・・・だって見ただろう?あのとき・・・オレは押さえが効かなくなっていたから・・・それで気になって・・・」
 ラファエロは音を立ててコーラの瓶を置いた。そして、鞄から土まみれになった<狼と冷人族>を取り出してレオナルドの前にもっていく。
「お前はなんなんだ。レオナルド」
 レオナルドは濃茶の瞳を見開き、まじまじとその本を眺めた。そしてテーブルに置かれたラファエロの拳にてのひらを重ねると、観念したというように、たぶん君の考えているとおりだと囁いた。
「マジかよ・・・」
「信じられないか?今日も見たろう・・・俺のしたことを」
「・・・」
「でも俺達家族は人の生き血は吸わない。動物の血を代用にしてるんだ」
「・・・あー・・・菜食主義者みたいなもんか?」
「まあ、そうだ。冷人族の中にはそれをよく思わない連中も多いけど、スプリンター先生は人間と共存することを選んだ。誇りに思ってるよ。兄弟たちも同じだと思う」
 ゆっくりと言葉を選びながら話す彼はとても大人びていて、ヨシが昔の思い出話をしてくれるときとよく似ていた。
「・・・おまえら家族は・・・その、最初から全員”そう”なのか?」
「ちがう。もとはみんな普通だった」
「どうして、”そう”なった?自分からなれるものなのか」
「俺が普通だったのはずっと、ずっと昔のことだ。そのころは、俺達みたいな異種族の権利なんてこれっぽっちも認められていなくて、とにかく酷い時代だった。親も兄弟も人間に殺されて、あげく流行り病で死にかけた俺をスプリンター先生が助けてくれた。それ以来ずっと”こう”さ」
 体温の低い掌が、戸惑いを隠せずにいるラファエロの拳をますます強く握り込み、顔を覗き込んでくる。
「俺が恐いか」
 静かな問いにラファエロが答える前にウエイトレスが注文を取りに来た。レオナルドは申し訳なさそうにウエイトレスに微笑んで、今はお腹がすいてないから、と断った。ウエイトレスはまた来るわるね、と意味ありげなウインクを寄越して去っていく。笑って手を振るレオナルドの足を蹴飛ばして、ラファエロは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「なんでてめぇはそう、気を持たせるようなことすんだよ」
「え、そんなつもりはないが・・・分かった、気をつける」
 神妙な顔で頷くレオナルドが可笑しくて、ラファエロは声をあげて笑う。
「まあとにかく、今日は助かったぜ。ありがとな」
 レオナルドは、瞬きを繰り返した。そして困ったというように頭をかきながら、
「その、どうしてか、ラファエロの心は読めないんだ・・・いつもは五月蠅いくらいに聞こえてくるのに。でもこの方がいい。知らないことがあった方がずっと楽しいよ」
 と満面の笑みを浮かべる。ラファエロはなんだか気恥ずかしくなって、触れ合ったままの手を引っ込めようとした。しかし逆に強く引き寄せられて、心臓が飛び跳ねる。彼の、切れ長の美しい瞳に捕らわれて動けない。
「・・・ラファエロ、ラフ・・・俺は、」
「あれ!?ラフじゃねぇか!お前なにしてんだこんなとこで!」
 そこへ、どやどやとやかましい音を立てて店に入ってきたのは、ケイシーだった。ラファエロはすぐさまレオナルドの手を振り払って、席に座り直した。
「よ、よう!お前こそなにやってんだよ!」
「言ったじゃねぇか、プロムの服を買いに・・・っ!?」
 得意げに話し始めようとしたケイシーは、ラファエロの目の前に座るレオナルドに気がついて、見事なくらいに硬直してみせた。
「え、お、お、おまえ・・・な、なんっ」
「ちょっとそこで会って話してただけだ」
「馬鹿野郎!」
 ケイシーはラファエロの頭を叩いてわなわなと震えだす。
「なんで言ってくれなかったんだ!」
「なんだ突然!」
「おまえらがまさかっ・・・そういう関係だったなんて・・・オレは全然・・・」
「ちょっと待て。なんの話だ」
「安心しろ、誰にも言わないからな!」
「なにをだ!勘違いすんな!」
「ありがとうケイシー」
「てめぇも律儀に答えてんじゃねぇ!!」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 週明けの月曜の朝、フォークスはいつもながら曇天に覆われていた。天気予報で、今週中はこの天気が続くだろうと言っていた。テレビを見ていたヨシはやれやれと肩をすくめてみせたが、ラファエロはほっと安心したようなため息を漏らした。不思議そうな顔をするヨシに、慌てて思いつくの限り天気への文句を並べてみたが、熱でもあるのかと心配されてしまう。
 遅刻するからとその手をかわして玄関に向かい、必要なものが揃っているかどうか、デイパックの中身を確認する。財布、筆箱、学生証、ケイシーから借りたゲームソフトと、CDウォークマン。それから、ボロボロになってしまった<狼と冷人族>の本。なんともなしに捲っていると、あの夜のできごとが頭に蘇り、思わず玄関脇のキャビネットに本を放り投げた。
「ラフ、今日は寄り道せずに帰ってこいよ」
 いつの間にか背後に立っていたヨシが不安そうに声をかけてきた。
「分かった」
「湖には近づくな、絶対だ」
「分かったって」
「あと森にも、」
「腹減らした狼が出るって?」
「そうだ。これを持っていけ」
 そう言ってヨシが投げて寄越したのは小型の催涙スプレーだった。ラファエロは目を丸くして、ヨシを振り返る。
「・・・こういうのは、女が使うもんだろ・・・」
「使わなくていい。ただ持っていてくれたら、俺が安心だから」
「かっこわりぃ」
「だって最近怪我してばかりじゃないか。なにか悪い連中と、」
「悪さしてんじゃねぇかって?」
「そうじゃない!・・・心配なんだよ」
「分かったよ・・・持ってりゃいいんだろ。こんなもん、効くとは思えねぇけどな・・・」
 不満そうに口を尖らせるラファエロの頭をぽんぽんと無言で叩き、ヨシは静かに笑った。ラファエロはヨシがときどき浮かべるその笑みに一抹の不安を覚えたが、気がつかないふりをして家を走り出た。
 そのままガレージに行きかけて、はっと足を止める。事故やあの夜の襲撃で、ついに愛用のバイクが壊れてしまったことを思い出したのだ。自分で直そうとしたが、手に負えず、カライに修理を頼んだばかりだった。こうなるとスクールバスしか手はないが、バス停までは歩いて20分かかるうえ、今からでは始業時間に間に合いそうもない。いろいろ考えたあげくラファエロはすっかり諦めて、バス停に向うことにした。
 歩道をのんびりと歩いていると、すぐ横をシルバーのボルボが蛇行しながらついてくるのが見えた。窓が降ろされ、運転席から顔を出したのは、あのレオナルドだ。
「やあ」
 親しげに声をかけてくる彼に、ラファエロはあからさまに嫌な顔をして、歩き続けた。まっさらのボルボも蛇行しながら横を走り続ける。
「バイクがなくて困ってるだろうと思って」
「よけいなお世話だ」
「じゃあ、こうしよう。ラフが運転席に座ってこいつを走らせる。俺は隣に乗せてもらうだけでいい」
 ラファエロは足を止め、銀ピカに光る流線型のボディを眺めた。
「いいのか?」
「もちろんだ」
 レオナルドは頭を引っ込めて助手席に移動した。あたりを伺いながら、ラファエロは運転席に乗り込み、今まで座ったこともないような高級なシートや革張りのハンドルに口笛を吹いた。レオナルドに簡単な操作を教わって、車を走らせる。オーディオから流れてくる退屈なクラシック音楽を、ロック専門のラジオチャンネルに切り替えた。レオナルドがリモコンをとって操作し、車のルーフを開く。緑の木々と真っ白な空が頭上いっぱい広がって、ラファエロはますます速度を上げて車を走らせた。ボルボは低く唸り、2人の楽しげな笑い声は風をはらんで真っ直ぐに、朝の道を駆け抜ける。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
トワイライト〜亀