「ラファエロ、起きなさい。そろそろ着く」
 額にあたたかな指が触れて、まぶたを開いた。がたりと車が大きくゆれ、運転していた男がごめんごめんと笑ってこちらを見る。ラファエロはまるまっていた体をめいっぱいに伸ばした。何時間も同じ体勢でいたせいで、体中がぱきぱきと音を立てる。
「ほら」
 指し示されて眺めた窓の外の景色はずいぶんと様変わりしていた。先の見えない赤土だけの国道は、うっそうと緑の茂る山道になり、目がやけそうなほど真っ白な霧が車をぐるりと囲んでいる。車のライトをすべてつけても、やっと数メートル先が見えるぐらいだ。窓を開けるとひんやりとした空気と一緒に霧雨が入り込み、宙にかざしたラファエロの手をしっとりと濡らした。
「フォークスは雨の多いところなんだ。晴れてる方が珍しくてね・・・まあじきに慣れる」
「ああ・・・」
 男の言葉に生返事をして、ハンドルを握る神経質そうな五本の指と、ぶらりと投げ出した自分の緑色の手を見比べた。あまりにも違う。そう思いながら男の短く切りそろえられた黒髪や、すっと通った鼻の形なんかを眺めていると、それに気がついた彼が黒炭のように黒々とした目を柔らかく細めてみせた。
 ラファエロは慌てて視線を落とし、足元に転がったドラムバックから覗く写真立てを乱暴に底へ押し込む。数時間前、その写真立てには義母からもらったいわゆる家族写真が入っていた。別れを惜しんで渡されたものだったが、道中立ち寄ったダイナーのゴミ箱に捨ててきてしまった。人間ばかりの家族の中に一人、異様な姿で立つ自分は滑稽以外の何者でもなかったし、だいいち義母は、ラファエロのことを好ましく思っていなかった。人と異種の混血であるラファエロは彼女の2番目の夫の連れ子で、血は繋がっておらず、父親が流行病で死んだあと、義母はまるでラファエロなんてものはいないというように振る舞うようになった。
 家を出て一人で生活することも考えたが、一応の成人とされる18歳に満たないラファエロを雇ってくれるような仕事先も見つからず、なによりも世間体を気にした義母は、ラファエロを家から出すのを酷く嫌がった。
「ほら、着いたよ。見えるか?最近壁を塗り替えたから、新築みたいだろ」
 車がゆっくりと鉄のアーチをくぐり、2階建ての木造の家の傍に停まる。塗り直したという壁はところどころに目立つムラや塗り残しがあり、お世辞にも新築とは思えないできだ。けれど車を降りて満足そうに家を仰ぎ見る男に、ラファエロは「いい家だな」と答えるしかなかった。
「おう、ヨシ!」
 荷台から少ない荷物を降ろしていると、背後から野太い声がかかる。振り返ると、車椅子の男が通りを渡ってこちらにやってくるところだった。長い黒髪に編み込まれた飾り石がぱちぱちと愉快な音をたてている。隣りで荷下ろしを手伝っていた男は、来訪者の姿を認めると嬉しそうに両手を広げて出迎えた。
「サキ!丁度良かった。今帰ってきたところだよ」
「だと思って例のものを持ってきた。それでそこのが、お前の・・・あれか」
「そう、俺の息子。ラファエロって言うんだ」
 心底嬉しそうな男の様子に、ラファエロは熱を逃がすようにふっと息をついて、ふるえる指先をパーカーのポケットに隠す。俯いた顔をあげて車椅子の男をみる。瞬きもせずにいるその両目は、まるでスーパーに山と積まれた安売り品を眺めているみたいに見えた。
「ふん・・・似てないな」
「ああ、血は繋がってないから、」
「女房を寝取った男の子供を引き取るなんて、お前、どうかしてるぞ」
「サキ!」
「本当のことだ」
 ラファエロはポケットに入れた両手を痛いほど握り込んだ。
 つい最近、義母は再婚を決めた。彼女の将来設計にはもちろんラファエロは組み込まれていなかったが、それでもいいと思った。この女の傍から離れられるなら、どこだって天国みたいなものだ。
 義母は住んでいた家を引き払って再婚相手の家に転がり込むことを決めたが、家は元々最初の旦那のものだったらしく、細かい手続きを済ませるためには持ち主の承諾がどうしても必要だった。そうしてやってきたのが、ヨシだった。
「しかも異種の混血だ」
「サキ、いいかげんにしろ!」
「見ず知らずの奴に言われる前に耐性をつけてやってるだけだ。本人が一番よく分かってるんじゃないのか?」
 意地の悪い笑みを浮かべるサキに、ヨシは縮こまるラファエロの肩を強く引き寄せて言った。
「誰になんと言われようと、この子は俺の子だよ。もう決めた。それ以上言うなら俺の庭から出て行ってくれ。芝生を掘り返したいなら自分の庭でやるといい」
 そのまましばらく2人の睨み合いは続いた。ラファエロがどうすることもできずに視線を泳がせていると、サキが面白くなさそうにため息をついてつぶやいた。
「からかいがいのない奴だ」
 濃紺の瞳が楽しげにくるりとまわる。
「今回はお前が悪い」
「分かった分かった。おい、そこの。ちょっとついて来い」
 そう言ってサキはくるりと背を向けて車を転がし始めた。伺うように視線を上げたラファエロに、ヨシは掴んでいた肩を叩いてぽんとその背を押し出した。
「後はやっておくから、行ってくるといい」
 食べられたりしないから大丈夫だ、と言ってヨシは満面の笑みを浮かべた。ラファエロは事態が飲み込めないままにサキの後について歩き出す。家の周りをぐるっと回ってやってきたのはガレージだ。シャッターの前に軽トラックが停まっている。荷台に乗せられているのは一台のオンロードバイクで、何世代か前の型だが、塗装をしなおせばまだ十分使えそうな代物だった。そばに見知らぬ人間が一人立って手を振っている。ラファエロとそう変わらないだろう年頃の、肩までまっすぐに伸びた黒髪と切れ長の目が印象的な女だ。
「どうだ、カライ」
 カライと呼ばれた女の感情の籠もらぬ黒い目玉が、ラファエロの頭からつま先までをじっくりと眺め、すぐに興味が失せたというようにバイクに戻った。
「問題ない。すぐ走れる」
「そうか。おいお前、」
「お前じゃねぇ、ラファエロだ」
 吐き捨てると、サキとカライは顔を見合わせてうさんくさい笑みを浮かべた。カライがバイクのシートをたたきながら、
「あんたのバイクだ。ヨシに頼まれて、私が直した」
「は?オレのバイク?マジかよ・・・すげぇ」
「学校までの足がいるからって」
「ちょっと待て、学校だ?オレが?」
「違うのか」
「聞いてねぇぞ!」
「ああ、言ってなかったね」
 ガレージの横からヨシがひょいと顔を出した。ついさきほどまでくたくたのシャツとジ−ンズ姿だった彼は、黒のス−ツパンツに銀色に輝くバックルつきのベルトを通しているところだった。
「明日からだ。転入手続きは済ませておいた。なに、すぐ慣れるさ」
 慣れた仕草で着込むジャケットの背には大きくPOLICEの文字かかれている。その腰に拳銃をみつけたサキが、うんざりしたように言った。
「なんだ事件か?また例のやつじゃないだろうな」
「だといいんだけどな。ラフ、荷物は玄関に置いておいたから、二階の部屋を好きに使ってくれていい。家のカギはちゃんとかけておくように。ああ、あと夕食は、」
「・・・適当にする」
「ごめんな」
「いいって、慣れてる」
 ぽんと頭を叩かれた。ヨシは何も言わず、ごしごしと音がしそうな勢いでラファエロの頭を撫で、静かな笑みを浮かべる。ラファエロは痛いと文句を零しながらもされるがままになっていた。
「それで、」
 ヨシが車で出かけたあと、いつまでも道の向こうを眺めているラファエロに、カライの声がかかる。
「このバイクは何色がいいと思う?」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 山間の高校は都会の学校のようにフェンスに囲まれることも、割れた窓が放置されていることもなく、生徒達の乗ってきた車やバイクはきちんと白い枠の中に収まって置かれていた。朝の挨拶を交わす生徒の群れと、朝練を終えたらしいラグビー部員たちが慌てて校舎に向かうのを横目で眺めながら、ラファエロは乗ってきたバイクを空いた場所に停まらせた。隣りを過ぎる生徒たちは見慣れない赤いバイクに気がついて好奇心いっぱいの視線を投げてくる。
 気にせずラファエロがヘルメットを脱ぐと、明らかな動揺が生徒たちの間に走った。それが時期はずれの転校生を見る目でないことは、すぐに分かった。生徒たちの中には異種族も数人混じっていたから、ラファエロの容姿に驚いたわけでもないだろう。好奇に混じってどこか羨望に近いものを感じて、ラファエロは逃げるようにその場を後にした。
 幾つかの棟に別れた校舎の間をあるいているときもずっと視線を感じ続けた。なるべく慣れた風を装いながら事務室を探して首をめぐらせていると、突然ラファエロの前に一人の人間が滑り込んできた。背の高い筋骨逞しい青年だ。体にぴったりとしたタンクトップに、右手にはアイスホッケーのスティックらしきものをぶら下げている。
「よお、新入りだって?」
 人の良さそうな笑みを浮かべて話し掛けてきた青年に、ラファエロはぎろりと睨みをきかせて再び歩き出した。青年は気にせずぴったりと横をついてくる。
「オレはケイシー。この学校の・・・そうだな、案内役ってとこかな?なんでも聞いてくれよ!ところでおまえ名前は?」
「・・・ラファエロ」
「よろしくなラフ!事務室にいくんだろ、案内してやるよ」
「・・・やけに親切だな」
「転校したてはなにかと大変だろ、同級生は助け合わないとな」
「同級?お前とオレが?」
「ちゃんと情報はリサーチ済みだぜ?」
 こっちだ、と腕を掴まれてラファエロは事務室に連れていかれ、一通りの挨拶を済ませた後もあっちだそっちだとケイシーに連れ回された。その間も他の生徒達からの視線を痛いほどに感じる。なんとかの一族がどうのとか、仲間がどうのとか、聞きかじっただけでは何のことか見当もつかない。
「ケイシー」
「お、やっと覚えたか、なんだラフ」
「なんで全員オレを見るんだ」
「転校生の特権だ。そのうち飽きるって」
「いや、そういうんじゃないっつーか・・・」
 ああ、とケイシーは理由を思いついたようだが、わけは話さず、にやりと笑って言った。
「これから分かる」
 そうして連れてこられたのは、食堂だ。沢山の円卓が並び、真ん中ではできたてのパンやポテトフライが湯気をたててガラスケースの中に置かれている。丁度昼の鐘が鳴って、生徒たちが一斉に食堂に雪崩れ込んできた。ケイシーは慣れた様子で、中央近くの座席を陣取った。彼は席に荷物を置いて立ち上がると、昼飯のとりかたにはちょっとしたコツがあるからと言ってラファエロを残して一人食事の列に並びはじめた。
 食堂の円卓はあっという間に人で埋まり、ラファエロのテーブルにもケイシーの友人らしい数人の生徒がやってきた。全員ラファエロに興味があったのか、どこから来たに始まり、向こうの学校はどうだのステディがいるのか初体験は等々、どんどん下世話な話になって、テーブルは異様なテンションに包まれた。同級生に受け入れられたことにほっとして、ぎこちない会話を楽しんでいたラファエロの視界に、ふっと不可思議な光景が入りこんでくる。
 たくさんの生徒で溢れている中で、一つだけ誰も座っていないテーブルがある。食堂の隅の日の当たらない一角にあるその場所は、通る人も少なく、他の座席からも離されているように見えた。やっと戻ってきたケイシーはプレートにたくさんの戦利品を乗せて、ラファエロの前に差し出した。ラファエロがそれを受け取るついでにあのテーブルについて聞こうとしたとき、ただてさえ騒がしい食堂の一角が、にわかに活気づき始めた。
「なんだ?」
「今日はまたずいぶんと遅いご登場だな」
 ケイシーがフォークにチキンを刺しながら呟いた。
 人垣が二つに割れて、連れだって歩く二人組が見える。
 まっすぐにこちらに向かってくるその2人からラファエロは目が離せなくなった。一方は小柄な少年のような姿をしていて、楽しげなステップを踏みながら隣に立つ一人にしきりに話し掛けている。話し掛けられている方は相づちをうちながら、少年の手をしっかりと握り込んでいた。
 少年がつけたオレンジのマスクがラファエロの真横を擦っていく。もう一方が紫のマスクの下から、ちらりとラファエロの姿を認めたが、すぐに視線は少年に戻る。緑色の肌、握りあった三本指の手。
 ラファエロはいままで、自分と同じ種族に出くわしたことがない。都会はたいてい人間ばかりで異種を嫌う連中も多い。初めて出会った同族をぽかんと眺めているラファエロに、ケイシーが顔を寄せて囁いた。
「スプリンターの一族だ。この町にずっと前から棲んでる異種の一族だよ。知ってたか?」
「・・・いや」
「やっぱり、お前は違うんだな」
「違うって、」
「みんな、お前のことスプリンターのとこの新しい養子じゃないかって思ってたんだ。あいつら同族だけど全員養子らしいからな。しかもさっきの2人なんか、家族なのにできあがってるって話だぜ」
「はあ?」
「恋人どうしってやつだよ」
「・・・そう、なのか」
「んなことより、やっかいなのがいるんだ。我ら男子生徒、最大の宿敵!」
 ケイシーが拳をテーブルに叩きつけるのとほぼ同時に、もう一人、音も立てずに人垣をすり抜けてくる者がいた。ややうつむき加減に入ってきたそいつは、周囲のものがまるで目に入っていないようなそぶりで、前をゆく2人を追従する。上から下まできっちりと服を着込んでいるが、独特の容姿にやはり同族だと分かる。遠慮がちに話し掛けてくる女生徒に形だけの笑みを返してラファエロのテーブルの脇を通りかかる、その瞬間、彼の両目がこちらを捉えた。通り過ぎる彼の、底の見えない濃茶の瞳から目が離せない。歩くたびにたなびくブルーの軌跡や、纏う空気の鮮烈さに体ごとひっぱられていくような気がした。
 三人が隅にある例のテーブルにつくと、ひととおりの儀式が終わったというように、食堂はもとの騒がしさを取り戻し始めた。
 ラファエロはあんぐりと口を開けたまま、例の三人組を食い入るように見つめ続けていた。
「ラフ・・・やめとけ」
「えあ?」
「あいつら自分たち以外に興味ないぜ。そりゃ、町で有数の金持ち一家だし、取り入ろうとする連中は死ぬほどいるけど」
「っ・・・オレは別に、」
 ラファエロはあわてて目線を引きはがし、プレートに山盛りされたオニオンスライスを乱暴に口に詰め込んだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 午後の最初の授業は生物学だった。
 選択でスポーツをとっているケイシーと別れ、始業のベルとほぼ同時に薄暗い教室に足を踏み入れると、座席はあらかたうまっていた。室内を見回すと、青いマスクの彼の姿が目に入ってきて、ラファエロは足を留める。窓際の席でつまらなさそうに曇り空を見上げている。隣りは食堂のときと同じようにぽっかりと空いていて、誰も座る気配はない。ラファエロが教室の入り口に立ったまま思い悩んでいると、ベルが鳴り終わって入って来た教師が、スライドを引き下ろし始めた。
「静かに。今日は細胞分裂の観察をする。最後にテストをするからしっかり話を聞いておくように。ほら、君も早く席につきなさい」
 急かされて仕方なくラファエロは、彼の隣に腰掛けた。
「まずは今から配るものが何か当ててほしい」
 言いながら教師が観察用のスライドガラスを配る。机ごとに一つしかないスライドと顕微鏡を引き寄せようと手を伸ばしたラファエロは、さっきまで窓の外を眺めていたはずの彼の視線が、自分に注がれていることに気がついた。何か気にくわないことでもあるのか、眉間に深い皺を寄せて、じっとこちらを見ている。
「・・・なんだよ」
 低い声で言うと、彼は「なんでも、ない」と小さく呟き、机に置かれたスライドと顕微鏡をラファエロの方に押しやった。教科書を開いてスライドをセッティングしていると、また強い視線を感じてラファエロは思わず彼を睨み付けた。
「なんだよさっきからっ」
「・・・君、名前はなんていうんだ?」
「は?なんでてめぇにそんな、」
「俺はレオナルド。君は?」
「・・・ラファエロ」
 硬質な声に囁かれて、ラファエロはセッティングの済んだ顕微鏡を押しやりながら答える。レオナルドは一つ頷くと、身を乗り出して顕微鏡を覗き込んだ。
「どうだ?」
 聞くと、レオナルドは少し覗いただけで顔をあげ、ラファエロに向き直った。窓から差し込む明かりが、彼の涼やかな目元を照らし出す。いつまでも答えないレオナルドに、ラファエロは眉根を寄せ、再びどうなんだと問うと、彼はゆっくりと口元に笑みを浮かべ、
「これはタマネギだ」
 あっさりと答える彼に、ラファエロは椅子ごと近寄って顕微鏡を覗こうとする。だが、お互いの肩が触れあったとたん、レオナルドの体がびくりと跳ね上がった。てのひらで口元をおおい、苦しげな呼吸をくりかえす。
「お、おい、大丈夫か」
レオナルドは気遣わしげに触れたラファエロの手を払いのけ、椅子を引きずって距離を置いた。つられて腰を浮かしかけたラファエロを遮るように、ゆっくりと手をかざしてみせる。
「すまないが・・・すこし離れていてくれないか」
限界まで顔を背けながらそう言われ、ラファエロはかっと頭の芯が焼け付くのを感じた。乱暴に顕微鏡を引き寄せてレンズを覗くが、何も頭に入ってこない。
自分と同じ異種であるレオナルドに少しばかりの身内意識を感じていたラファエロは、今、心臓をナイフで突かれたような、実に暗澹たる気持ちで、教壇を睨み付けていた。
 
 
 
 
 
 
トワイライト〜亀