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 まいとしこの季節になるとアイオワの空を船が飛ぶ。どこまでも続くトウモロコシ畑の向こうに、イオ・クワオワ・セドナ・カスタムメイドされたバード・オブ・プレイ、リバーサイド造船所の誘導灯に導かれて沢山の船が空一面に広がる。ジムは腫れぼったいまぶたをあけて夕方の空に浮かぶ宇宙基地をみていた。やがて終わる太陽を引き継いで月が昇るその少し前、いつもお腹を空かせて歩くだだっ広い田舎道の向こうに白く浮かんでみえるのだ。ここに兄がいてくれたらなおいいけれど、二人いたらエアカーの後部座席にこうして寝ころんで宇宙基地を眺めていることもなかっただろう。兄が出て行って一年が経ち、売るはずだった車を崖からダイブさせたジムを散々どなりつけた養父は母親が受けていた艦隊の遺族手当で最新のエアカーを買った。
 母親の再婚相手はごく普通の男だった。
 その普通の父親がなによりも嫌っていたのは、兄だった。
 兄もごく普通の人間で、素直に怒り、笑い、悲しみ、若者らしい正義感を持っていた。だがこのごく普通の二人は殺し合いに発展しかねない喧嘩を何度も何度も繰り返した。
 ジムは生まれたときに死んだという本当の父親のことを知らず、だから、いったいなぜ兄があの普通の男である養父とそんなにうまくゆかないのか理解できなかった。
 けれど、兄が出て行く前の日の夜、ドライヤーを投げつけられて額を真っ赤に腫らした兄が、どんなに殴られても涙ひとつみせなかった兄が、眠るジムのベッドの傍へ来て、今日は一緒に寝ようといったとき、その目に浮かぶ小さな星が、いまも部屋に飾られている死んだ父親にそっくりで、ああ、兄は、兄ではなくて、父親になろうとしていたんだと気がついた。その日ベッドに潜り込んできて強く背中をだきしめたのは、ジムにとっては初めてというくらい近しい子どもの、この世界に二人きりしかいない兄弟だった。
 さいきんのお前は兄さんがのりうつったみたいだと養父は言う。どこまで行ってもカークの血かと。でもジムは兄のモノマネをしているつもりも、父親に成り代わりたいわけでもなかった。ただ嫌になっただけだ。この広い世界の、宇宙の中でもとびきり狭い家の中で生きていくのが。
 このごろは手足も伸びて出て行った兄とそう変わらない背丈になった。おかげで屋根裏に仕舞われた兄の服や靴を履けるようになった。兄のレコードプレーヤーではじめて音楽を聴いた。スケッチブックやカメラやコミックを手に取った。そしてなによりジムが夢中になったのはエアトリックボードだった。エアトリックボードは西海岸のレーサーがエアカーの機能を古くからあるスケートボードに取り入れた宙に浮くボードだった。宙に浮くといってもスケートボードは板一枚ぶんの厚みしかなく、複雑なトリックで小回りをきかせる代物であるために、大きな重力エンジンは搭載していない。だからちょっと力を込めて踏むと地面に当たってしまうくらいの浮力しかなかった。水の上も走れない。元々凝り性だったジムはエアトリックボードに度重なる改良を加え、いまや時速は五十キロ、落ちないように足首をベルトで締めるようにし、浮力は市販のものの三倍はあるだろう、もっと改良を加えればトウモロコシ畑の上だって飛べる。いやもっと高くまで。
「ジム、ボードは置いていきなさい」
 ぴしゃりと言われたジムはエアカーの座席と自分の間にボードを挟んで離れまいとした。母親がどんなに声をかけても、養父がどんなに叱りつけても聞かなかったので、結局、エアカーの中に置き去りにされてしまった。
 自分の身体の半分ほどもある木製のボードを抱え、ジムはぼんやりと宇宙に飛び去るシャトルの影を目で追った。
 満員御礼の宇宙基地はいつにも増してぴかぴかと輝き、まるで月がふたつ昇ったように空が華やいだ。
 窓についたスニーカーをワイパーみたいに滑らせて基地の姿をなぞる。
 いま基地では、USSケルヴィンの遺族のための会食が行われているはずだ。白いテーブルに白い椅子に白い服を着た人々が銀の食器でこの世のものとは思えないほど豪華絢爛な料理に舌鼓をうっている様を思い浮かべると、腹が切なくなった。起き上がってドアに手をかけたがどうやらロックをされているらしく、ジムは後部座席から父親のパイプ臭い運転席に頭を突っ込んで運転席の下にあるエアカーの重力エンジンの緊急停止レバーをがこんと回した。浮いていた車体ががっがんと凄まじい音と共に地面に落ちてぱちぱちんとロックが解除される。ジムは落ちた衝撃で運転席にはまった身体をねじって引き抜き、ドアを勢いよく開けて外へ出た。
 どうと吹く風がよそ行きのシャツの襟をもてあそんだ。
 ジムはトリックボードをひっぱりだしてぽんと地面に放った。ボードは地面から二十センチ程の高さを保ちつつ風にゆらゆら危なっかしく揺れた。
 ボードを足で踏んでおきながらジムは車の重力エンジンのレバーを戻し、再び浮き上がった車のドアをばん! と閉じて車をあとにする。浮かぶボードに片足を乗せ、けんけんしながら駐車場に停まったエアカーの間をすり抜ける。影を残さないクリーンライトが照らす駐車場の真ん中には鋼鉄の支柱が立っていて、そこには宇宙基地へ直接行ける宇宙エレベーターがあるが、十四歳以下の子どもには低重力状態が心身に影響を及ぼす可能性があるため使用できないと書いてある。この宇宙エレベーターを月まで延ばして、エアカーが行き来できる宇宙光速空路を造ろうという話もあったはずだが、シャトルの小型化が急速に進んでいたし、コストがかかりすぎて、きっとなかったことにされたんだろう。
 ジムは車の少ないひらけた場所をみつけると、ボードを手に取り、その場所の隅から隅までうろうろ歩きながら、真鍮の車止めや階段のてすりにぱちんとボードのホイールを鳴らして音を立てた。そうしてあたりに誰もいないことを確かめる。鉄柵に囲まれた駐車場の外には頭をたれたトウモロコシと、明るい星空だけだ。
 フォーウ! と叫ぶとフォーウ! と帰ってきた。ボードに飛び乗って、接着剤でつけただけのナイロンのベルトをつまさきでひっかけると、ぐうんと地面を蹴った。 細長い板のうえでぱっぱっと足をスイッチし、さっき叩いた車止めにボードごとのっかるとぱちん! とわざとノーズをぶつけて滑り降りた。
 じゃりじゃりじゃりと地面を擦らせ、片手をついてぐるりと回転すると、だんっと足をけりあげてエアカーのボンネットに着地する。ぴぴぴぴぴぴとエアカーの警報がなりだした。ジムはすぐさま隣の車のボンネットに飛び移り また警報が鳴ると隣へ移り、収まるとまた戻って車のハードトップをスライドして縦列駐車していた後ろの車に飛び乗った。
 がこん。こいつは趣味の悪いピンクのミニだな。
 そこでジムははっと息をつめた。衝撃でぐらあんと揺れたピンクのミニカーの後部座席に、誰か座っていたからだ。一瞬ひやとしたが、その誰かはボンネットに乗り上げるボードにぴくりとも反応せず、背筋を伸ばしてただ一点を見つめたまま動かない。ジムはボードから降り、ミニカーのうえで屈んで中をじっと覗き込んだ。
 黒い髪、黒い目、子ども、の人形だろうか。いやこっちを向いたぞ。
 子どもはジムに気がついているはずなのに、無表情でまばたきひとつしない。えりまきとかげみたいに高い襟から先のとがった耳が覗いている。おいと外から呼びかけると黒い目が一度まばたきした。──なんだって自分と同じくらいの子どもが趣味の悪いピンクのシートに座ってるんだ?
 ジムはごろんだんっと車から降りて、後部座席のドアに手をかけた。とたんに静電気が走って手を弾かれる。ぱちっと光った波が車全体をぱりぱりと走っていく。クラシックカーに良くある泥棒避けだ。
 仕方なく窓をこんこんとノックして中を覗くと、そいつはじいっとジムをみつめて襟から顔を出し、話しかけてきた。泥棒避けをしかけているような車だ、強化ガラスでも入れているんだろう。ジムは指を一本たてて自分の耳をさしてみせた。子どもはすぐに意味に気がついたらしく、こんどは大きく口をあけてゆっくりと単語を口にのせた。
 『保安員・を・よん・で!』
 ジムが首を傾げていると、駐車場を囲うフェンスが、がしゃんと鳴り、一台のエアカーが滑り込んでくるのが分かった。沈黙する車の群れを黄色いライトがぬらぬらと撫でる。いままで無表情だったその子どもが、忍び寄る車の灯りに身体を縮こまらせた。座席の下へ潜って暗闇に身を潜め、外に立つジムに先程と同じ言葉を繰り返す。
『保安員・を・よん・で!』
 エアカーの明かりがジムの額を照らし、ジムはとっさに隣のジャガーの後ろに回り込んだ。
 ジャガーのナンバープレートはかつての首都ワシントンだ。
 ジムはボードを抱えて砂利を鳴らさないようそっとそっとジャガーの下へ潜り込んだ。 まるで待ち合わせでもしていたかのようにまっすぐピンクのミニの前にやってきたのはナンバープレートもメーカーのロゴもなにもないシルバーのエアカーで、窓は遮光ガラスで覆われ、いままで聞いたことのないビートのエンジンが空気を揺らしていた。
 ジムは音を立てないよう腹の下にトリックボードをしき、ジャガーの下から様子を覗きみた。
 エアカーのドアが一斉に開き、真っ黒い出で立ちの男が4人、姿を現す。
 全員くるぶしまでの長いコートを着ており、灰色のファーつきの高い襟に顔半分を隠しているが、どれもしかめつらして黒髪の、とんがり耳を持つ異星人である。
 さっきの子どもと同じ種族だと一目で分かった。
 ただ、彼らはあの子どものように無表情ではなく、眉間に皺をよせ黒目をぎらぎらと光らせているのだ。ばんとドアを閉めた手の爪は鋭く尖っている。
 彼らは輪になって低いトーンで会話を始めた。シとイ・ハを多用する不思議な語感の言葉だが、口調から彼らが興奮気味で急いでいる様子が伝わってくる。そのうちの一人がピンクのミニの中を覗いて、確かに間違いないといった様子で仲間に頷いてみせた。その手がドアノブに伸びると音もなくドアが開く。そいつはシートの上で身を堅くしていた子どもに向かって何か言うが彼は答えない。どうやら話しかけ役らしい男の口調はだんだんと早くなるが、子どもは眉をぴくりとあげて、
「ノー」
 話しかけ役は、仲間たちと顔を見合わせ、役を交代する。
 今度はもっと身体のがっしりした男がドアを掴んで身を乗り出す。さっきのやつより口調が乱暴で、普通の子どもならそのぱんぱんに張りつめた声だけで泣き出してしまいそうだ。
 だがその子どもは無表情、返す言葉はきっぱりと「ノー」である。さらに子どもは彼らの言葉を操って交渉をはじめた。会話を聞いているうちにジムにもなんとなく言葉の中に含まれる否定と肯定、疑問符の位置が分かるようになってくる。まばたきもせずに淡々と言葉を紡ぐ子どもにその男も黙ってしまい、後ろにいる仲間たちと再び顔を見合わせる。そして役を交代する。
 三人目が子どもの前に立ったとき、ジムは全身総毛立つものを感じてトリックボードのふちを握りしめた。
 進み出てきたそいつには足音や匂いがない。ただ影の様な気配が立っている。
 そいつは一切口をきかず、シートに座る子どもに手を伸ばす。反射的に後ろへ逃れようとする子どもの肩を長い爪でひっかけて掴み、ドアの外へ引きずり出す。あっと言って子どもが地面に倒れ、砂利敷きの地面にほっぺたを擦りつける。ジャガーの下にいたジムの目の前で子どものてのひらが拳に変わり、ゆっくりと起き上がる。頬に緑の血が滲んでいる。息を潜めるジムの目の前で、どんっと背中を蹴られて子どもはまた地面に倒れ込み、その拳まで緑が滲む。苦しそうに息をする子どもと目が合って、ジムはかあっと頭に血が巡るのを感じた。──ジム! 頭の中で叫んだ。
 子どもは長い腕に首を掴まれて空中にひっぱりあげられた。弱々しい手が逞しい男の腕を引きはがそうとするがびくともしない。子どもの顔の倍はあるだろう大きな手が、頭をがしと掴んで指が何かを探りはじめると、子どもは今までの冷静さが嘘のように暴れだし、唸り声をあげて抵抗する。だが藻掻いていた手も足もだんだんと力を失っていき、急にだらんとぶら下がって動かなくなる。太い指の間でどこか恍惚としはじめる子どもの瞳を見ながら、ジムは大急ぎでトリックボードのエンジンを最大値に変えた。ベルトを掴んでボードの角度を斜め上にし、両手でぐんと押し出すと、鋭角に走り出したボードが男の顔を直撃してぱんと空に跳ね返る。すかさずジャガーの下から飛び出して、どんと体当たりする。子どもを掴んでいた手が離れ、ジムはひゅうるるると落ちてきたボードを両手でキャッチしてぐんと飛び上がって板に乗る。かかとでテールを踏み、仰け反っていた男の胸にどんとのりあげ、空中でスイッチしてもう一発顔にお見舞いする。それでも倒れない男に三度目のジャンプを見舞おうとしたとき、横から伸びてきた手にボードをとられ、ジムは砂利敷きの地面に背中を打ちつけた。咽がぐえと鳴り、背中を反らして転がった。すぐ隣にあの子どもが横たわっていて、いまにも遠のきそうな瞳の中にジムの姿を映してまばたきした。
 ジムはううおと呻りながら起き上がり、そばに落ちたボードに手を伸ばしたが、後ろから首を掴まれて、手は空を掴む。宙につり上げられ、もがもが暴れるジムを薄ら寒いほど冷酷な目が見上げてくる。
 彼らの中で唯一、手出しをしなかった最後の一人がゆっくりと進み出てきた。そいつは背中に回していた手をのばし、赤黒い爪をジムの白い咽もとにゆっくりと押し当てる。口が自然と開きっぱなしになり、目の前がちかちかと白んだ。
 そのとき、ぱぱぱぱあんと辺りに停まっていた車の警報が一斉に鳴り響き、咽に当てられていた手がひるむ。甲高い声がして、さっきの子どもがピンクのエアカーにだだっと飛び乗って思い切り飛び上がるのをみた。両手に振りかぶっているのはジムのトリックボードだ。見上げる男の顔に振りかぶったボードが命中し、ボードはジムの目の前でばきゃんとまっぷたつになって、木片が飛び散った。
 気がつくとジムは思っていたより力の強い子どもの腕に引っ張り起こされるところだった。頬を緑色に腫らした子どもはジムを上から下まで眺めた後、平坦な口調で、
「こんにちは」
「こん、にちわ?」
「話ができるならなぜ保安員を呼ばなかったの」
 ジムは咳き込むことで抗議した。
「……お、おれのボード!」
「これは役に立ったよミスター・ボード」
「なんだって」
 しれと言った子どもは、目の前に立つ男たちに向き直り、緑にひきつれた唇を開き息つぎもせず何か早口に言い捨てた。子どもの声は夜空に朗々と響き、矢継ぎ早に放たれた細切れの単語が男達を張り手する。彼らは後ろに回してたい両手を解いてもはや力ずくといったように子どもを捕まえようとし、ジムはとっさに子どもの前へ躍り出たが、まぶしいほどの光が差し込んで両腕で顔を覆った。
 明かりは四方からものすごい速さで迫り、強い風と共に警備用シャトルが滑り込んできた。赤と青の警告灯がこれでもかという勢いで明滅する。男たちは早足でエアカーに乗り込むが、フェンスを飛び越えてきたホバーバイクの警備ドロイドたちがあっという間にエアカーを取り囲む。行き場をなくしたエアカーがエンジンをふかせながら取り囲む警備ドロイドをなぎ倒しはじめる。
 頭上から赤い閃光が差し込んだ。閃光はドロイドに乗り上げる彼らのエアカーを捕らえて逆向きにする。踏みしめていた小石がかたかたと宙に浮き、ジムの周りを周回しはじめる。
 それは一機のシャトルが放つトラクタービームだった。
 シャトルといっても一軒家ほどもある大きい船で、エンジンの噴出口に植物の蔓が巻き付いたような紋章が刻んである。シャトルは堂々とした姿で高度を下げると、エアカーを捨てて逃げようとする男たちを両脇に仕込んだフェイザーで容赦なく撃ち殺しはじめた。
 強力なトラクタービームに引きずられて前のめりになったジムのズボンのベルトを子どもが掴んで支えている。ジムの目の前で逃げまどう男たちの胸を青い光線が打ち抜き、次の瞬間ぱっと緑の霧がたってその場から消え失せた。おびただしい量の緑の霧がカーペットのようにあたりに広がった。
 事が済むとビームは切れ、ジムがかざした腕にはぱっと真緑の斑点が散った。隣に立つ子どもの前髪にも、細かい霧が降っていたが、子どもはまばたきひとつせず、白いシャトルが降り立つのを見守っていた。
 シャトルは腹からぼっぼっと火を吐きながら、角度を調整し、駐車場に立ち並ぶ街灯の隙間に見事な操作で降り立った。両サイドの扉が降りてきて地表へと続くタラップをつくる。中から立ちのぼる白い靄の中から現れたのは、黒髪で、とんがり耳したあの異星人だった。だが今度は皆一様に無表情で、誰が誰だか分からないくらいに顔の印象がない。シャトルと同じ色合いのマットグレーのローブをゆらし、後ろに腕を組んで優雅に歩く様はまるで庭園を散歩する王族のようだ。
 彼らは地上に降りると振り子人形みたいにあたりを見回し、ジムと子どもの姿を目に留めた。中の一人が早足で近寄ってきて、同族の子どもに一瞬手を差しのべたがやめて、代わりにすっと背を伸ばして隣に立つジムに向き直る。
「地球の方とお見受けする。我々はあなたの尽力に感謝している。だが今回あなたが見聞きしたものは一切他言無用に願いたい」
 ぽかんとしているジムに子どもが真っ二つになったボードを差し出して言った。
「ありがとうミスター・ボード」
 ジムは、あ、うんと言ってそれを受け取った。ふたりのやりとりを見ていた異星人は、少しだけ穏やかな口調で、
「わたしからもありがとう。ミスター・ボード」
「……えーと、そのう、いや、はい」
 ジムの返答を受け取って頷くその異星人の瞳は子どもと同じように少しだけ好奇心の色がのっていた。異星人は改めて子どもに向き直ると厳しい口調で聞いた。
「なぜ地上に降りた」
「会食は八時までとあったので、それ以降は個人的な時間に充てられると理解しました」
「母上が降りるよう言ったのか?」
「よく見て報告するようにと」
「降りろとは言っていない」
「詳細な報告にサンプルが必要でした」
「降りろとは言っていないな」
「──はい」
「地球はヴァルカンとは違う。ヴァルカンでの自治はこちらでは通用しないのだ。だからここでのお前の行動は問題視されないが、ヴァルカンに戻ればヴァルカンの自治にのっとりスパイとして身柄を拘束されるだろう」
 ジムはぱっと子どもをみた。子どもはわかっているというように顎をつんと前に出して、
「彼らの支配は受けていません」
「それは評議会が判断する」
 冷たく言い放つ男の背後から、静かに歩み出てきた同じローブの異星人たちが子どものまわりを取り囲み、子どもが差し出した両手首を光沢の紐で縛って、布を被せて見えないようにする。子どもは動じる気配をみせず、淡々と事を進める彼らはその頬に流れる血をぬぐいもしない。ジムは取り囲む異星人たちを押しのけて、やや遠巻きに眺めていたさっきの男に詰め寄った。
「あんたたち助けにきたんじゃないのか」
「そうだ」
「おかしいだろ。あれじゃ犯人扱いだ」
 男は子どもによく似た輝きの目でジムを見下ろした。
「君たちのことはよく知っている。感情的で美しい星の人だ。けれど我々の星では君のように情緒で判断することはないのだ」
「だって、まだ子どもだろ!」
「君たちの惑星では未熟さが尊ばれることがあるが、彼はもう十分に知識もあるし自分で判断できる。子どもだからという理由で裁きを受けられないのは論理的に公平さを欠いている」
 ボードを握っていた手が震えた。口を開くが言葉は声にならず、ジムはローブの連中に取り囲まれてシャトルへ向かう子どもを目で追った。男はしばらく待っていたが、答えはないと思ったのかすっと背筋を伸ばして自分もその隊列に加わろうとした。
「おれが」
 その声があまりにもみっともなく震えているせいか、異星人たちの目はいっせいにジムに降り注いだ。ジムはボードを胸に抱いて歯ぎしり混じりに言った。
「おれが言ってるのは、力のことだ、」息を吸う。「あんたは公平に裁くといったが、話も聞かずにキャンセルしておいて公平なのか? 手出しした奴らがあんたらにとってどんなに都合が悪いのか知らないけどおれにはそうはみえなかった。悪いウイルスだから駆除したってだけだ。それで感染者は隔離するんだろ。公平どころかちゃんと考えているようにもおもえない。おれが」
 ジムが息継ぎする間、異星人たちは黙って待っていた。
「おれが言ってるのはつまり、圧倒的な力の差によって、このこ、彼、が、殺されかけたってことだ。だから裁きとかいろいろ言うまえにすることがあるだろ。その、手当とか……」
 堪えきれずにジムは唾を飲み込んだ。汗だくの掌を服になすりつける。目の前で聞いていた男がふっと子どもの方を向いて、言った。
「お前の姿をみたら母上も同じ事を言うだろうか」
「僕の扱いにおいてあなたが母上と合意に至ったことはありません」
 男は眉を僅かに引き上げた。そして子どもの元へ歩いていき、周りにいた仲間となにやら話し合ったあと、子どもの腕にそっと手をかけて、紐を解き自由にした。ゆっくりと屈んで、子どもと目線の高さを同じにし、小さなとんがり耳に何事か囁く。ジムは落ち着かない様子でそれを見守っていたが、子どもが突然黒目をぱっと見開いて、ジムをみた。
 男が子どもの肩を押して、子どもはやや前のめりになりながらシャトルのタラップを降りて、ジムのところへやってきた。子どもは動揺で目を泳がせるジムを真っ直ぐにみつめて「聞きたいことがある」と言った。
「あの畑になっているたくさんの実を、君たちは食べて美味しいと感じるの?」
「え、な、なに」
 子どもが指さすのは、ジムの背後に広がるトウモロコシ畑だ。
「……いや、まあ、ときどきは食べるけど」
「どうやって」
「剥いて、茹でたり、フライパンで炒ると、一粒がこれくらいになるやつもある。それがおれはいちばん好きだ。近くの農家ではいまだに耕作機を使っててそいつの燃料にしたりしてるのも見たことあるな。他にもいろいろ」
「美味しいと感じる?」
「ん、まあ、そうかな」
「そうじゃないときもある?」
「だって作ったら失敗もするし、そもそも嫌いなやつだっている」
「嫌いだから食べないの?」
「まあね。好き嫌いしたらふつうは怒られる。でも誰にだってあるだろ」
「僕にはない」
「へ、へえ、そ、そうなんだ」
「つまり君たちの食生活は好き嫌いや調理の仕方で左右されるんだね」
「そう、かな。うん」
「じゃあ君の好きな食べ方について聞きたい」
「えっ」
 そんな感じでジムは自分の知る限りのトウモロコシの生態とポップコーンについて話をすることになった。特にコンロでの火のおこし方についてはうまく説明ができず、こんな事になるなら母の手伝いをもっとするべきだったと後悔した。話が進むとコンロの扱いから調味料の違いにまで及んで、さすがのジムもうーんと頭を抱え、
「それならうちに食べにきたら」
 と誘ったが、子どもは、自分はトウモロコシに含まれる酸や糖質を分解できないのだと言って断った。でも興味はあるとも。
「じゃあ食べないでいいから、君は自分の目でみたらいいじゃないか。おれが美味しく食べてるところをさ」
「ここから君の家までどのくらい時間がかかる?」
「二時間くらいかな」
「ならそれはできない。僕たちは地球時間で言う二時間後にはワープ体勢にある機内で席についているから」
 ジムはふふふと笑った。笑うと背中が痛むので、唸る声も混じる。
「それはおれだって無理だよ。あと四時間は親が帰ってこないし、車も飛ばせないから、ここで遊んでるしかない」
「徒歩十五分圏内にあるコンロを常設した場所でなら君の言う現象を確認することができるよ」
 とうとうジムは笑いを堪えきれなくなった。子どもはぴくりと眉をあげて、
「なにがおかしいの」
「そりゃあおかしいよ。ポップコーン現象をそんなに見たいの」
「もちろん」
「そうだな、おれが推察するに君は誰かの喜ぶ顔がみたいんだろ」
「喜ぶ顔?」
「いまおれがしてる顔」
 子どもは黒目をぱっちりしてジムをみた。その目は動物を観察するみたいにジムの赤い血の滲む顎や腫れぼったいまぶたやつり上がった唇をなぞって、目に戻る。
「そうだね。喜ぶ顔に興味がある」
「じゃあ提案。おれと遊ばない?」
「なぜ」
「おれは一人で退屈。君は一人じゃ危険。ふたりでいればお互いの問題を解消できるうえに、君は知りたいことをおれに聞けて喜ぶ顔が見放題。お買い得だ」
「対価が発生するの」
「最後のは冗談。どう? おれの提案にのる?」
「君の提案にのりたいけど」
「よし決まり」
 とジムは持っていたトリックボードごと手を挙げた。ふたりのまわりには壊れたエアカーを撤去していた警備ドロイドとホバーバイクを乗せるワゴンが行き交い、ジムはその向こうでじっとこちらに視線を注いでいる異星人たちに手を振って騒音に負けないように叫んだ。
「ねえふたりで遊んでいい?! ついでに傷薬かなにかもらえると嬉しいんだけど!」
 異星人たちは顔を見合わせた。ジムがにやと笑うと子どもがじっとみつめてくる。ジムは片手で顔を隠しながら、
「いまのはざまあみろって顔だから、計算に入れないでいい」
「──彼らは了承しない」
「なんで。おれが説得する」
「それはできない。僕の父は外交官で、僕はさっき重要な情報を奪われた」
「それってどのくらい重要な情報なの?」
「とても。奴らはテロリストだ」
「ポップコーン現象よりも重要?」
「父にとってはそうだろう」
「君はどうなの」
 子どもが答えるより先に、異星人たちがふたりのもとへやってきて、子どもはするりとジムのそばを離れた。ジムがおいと呼んでも答えずにとぼとぼ歩いてシャトルのタラップを登り、そこで待っていた男の脇に立つと、ジムに向かって手をあげてみせた。隣の男もそれにならう。おかしな指の形だが、それが別れの挨拶だということは理解できた。
「また来る?」
 聞くと子どもは挙げていた手を下げて、タラップを一段降りた。ジムは両手を広げて、
「コンロを持ってくるからポップコーンキャンプしようよ」
 子どもは後ろで黙っている男の方を見上げた。男が懐から光沢のある布をだして子どもの頬に触れようとするが子どもは高い襟のなかに顔を埋めて遮った。そして男に向かって何やら話し掛けたが、男はただ目を細めるだけだった。子どもはタラップを一段降り、もう一段降り、逆光で黒くなった顔をこちらにむけると、りんとした声を闇夜に響かせた。
「──ノー」
 ジムはもう何度目かわらない後悔をした。こんなことなら子どもの言うとおり近くの家へ車をすっ飛ばしてでもホップコーンを作ってやればよかった。
 まわりを囲む同じような顔した異星人たちは、うなだれるジムの肩を優しく掴んだ。彼らをみていると、どくどくと耳元で鳴っていた鼓動が静かになり、不思議と穏やかな気分になった。長いローブに隠された手が伸びて、ジムの汗ばんだ顔を覆うと、じわじわと視界が白んでいくのを感じた。からんとボードが地面に落ちて、まぶたがぐったりと重くなる。どんどん白む景色のなかで子どものシルエットだけが残り、ジムはなんとかそれをその場に縫い止めようとしたが、穏やかな重みに堪えきれずまぶたを閉じてしまった。
 
 
 ジムは真新しいエアカーのボンネットで仰向けになり、星空を眺めていた。ちくちく痛む背中を起こしてボンネットから降りると、目の前で見覚えのない一機の大型シャトルが飛び立つところだった。シャトルには植物のツタに似た紋章が描かれていて、背後には銀色のエアカーを牽引している。シャトルはジムの目の前でゆっくりと浮上し、ぼっぼっと音を立てながら宇宙エレベーターのまわりをくるくる円を描いて上昇しはじめる。ジムは風に弄ばれる襟に手を置いて抑え、シャトルが成層圏へ達して白い星になるまで見送った。
 シャトルを追うようにふらりと前に出た足に、何か当たって音をたてる。拾い上げるとそれはジムのエアトリックボードで、胴体は半分しかなく、もはやただの板きれになっていた。辺りを見回したが誰もいない。
 ────なんで。
 両手でボードを握りしめた。目を瞑って思い出そうとしても白い闇が見えるだけで、そこには行き場のない後悔が木炭みたいに積まれてくすぶっていた。ジムは果てしなく続くトウモロコシ畑をじっとにらみつけた。
 それから数時間後、酒に酔った養父が母に支えられながら帰ってきたが、エアカーの横で冷え切った身体をまるめているジムをみつけると、いつ俺が出ていいと言ったんだと怒り出した。一房しかない髪を振り乱して怒る養父の姿は滑稽で、ジムは思わずふっと笑った。すると養父は息をつめ「やっぱりな」と言った。
「おまえはカークだ」
 兄や父親みたいに身勝手に振る舞い人を見下して、ゴミみたいに死ぬんだ!
 母が隣で息をつめている。ふんと鼻を鳴らし車に乗り込もうとした養父の背中にジムはボードを振り上げた。ぱあんとボードが跳ね返って地面に落ちる。養父がどす黒くなった顔で振り向く。養父の足がボードをふみつけて、ばきんっと音をたてた。
 やめてと母が叫ぶのを聞いたが、ジムは自分の歯が折れてエアカーに跳ね返るのをみた。
 ずだん! と地面に引き倒されて背中を打ちつけ、あまりの痛みにそこから動けなくなる。養父がぺっとつばを吐く音がし、うろたえる母を無理矢理エアカーに押し込んだ。
 エンジンが派手に唸りを上げて、エアカーはジムを乗せることなく乱暴な運転で駐車場から走り出た。黄色いライトがトウモロコシ畑の中あっという間に遠ざかる。
 ジムは顔半分を赤くそめ、ううぐぐとうめきながら地面を転がった。
 エレベーターから降りてきた人々が驚いて足を留めるが、ぜえぜえ鳴る咽のせいで言葉にならず、大丈夫かどうしたんだ嫌ねえまったくと騒がしい声があたりを囲む。ジムは地面のうえでまるくなりのぞき込む人々から必死に顔を隠した。そのうちに誰かの手で毛布をかけられる。かわいそうにと労る手からジムは身体をよじって逃れ、さらにまるく小さくなる。背中が燃えているみたいに熱い。今日は一緒に寝ようと兄が言ったときも、こんなふうに熱かった。堪えきれない嗚咽が毛布を揺らして星空に広がり、イオ・クワオワ・セドナ・カスタムメイドされたバード・オブ・プレイ、そして宇宙基地が、手の届かないくらい遠くで、きらきらと輝いている。